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「ドンドンパンパン〜」の歌いだしで始まる「ドンパン節」は、全国的にも有名ですが、その元唄は“円満造じいさん”と人々に親しまれていた本町豊川の大工さんの作で、その名をとって「円満造甚句」と言われています。
明治元年に生まれた円満造じいさんは、本名を高橋市蔵といい、大工は16歳で一人前、18歳の時にはさし物から彫刻にまで手を伸ばす器用さで、特に彫刻においては、神社仏閣に多くの優れた作品を残しました。この円満造さんは、元来歌好きで、棟上げや祝いの酒席で即興詩人ぶりを発揮し人々の評判になりました。そのころの即興の歌というと秋田甚句が多かったのですが、彼はこの歌が「まどろっこしく退屈だし三味線にのりにくい」と言っては、いろいろな工夫を凝らしだしました。そんなある日の夕方、仕事をしながらヒョイと表を見ると、西の方へとぼとぼ歩いていく色白の娘が目に付き、彼は即座に「あね、どござ行ぐただ一人日が暮れるとぎ…」と歌いかけたといいます。調子は、秋田甚句のおはやしの横笛のフシをもとに、合いの手唄を独立させて作りました。歌詞はいっぺんに出来上がったのではなく、詩情がわき、興がのるごとに加えられていきました。この歌が「円満造甚句」と呼ばれるようになりました。
そして、昭和10年頃になって、民謡編曲家の故黒沢三一氏がその「円満造甚句」を大衆向きに変えたのが、今のドンパン節です。円満造甚句は、彼の孫にあたる高橋大文さんが、踊りは豊川小学校の児童が受け継ぎ、伝承しています。 |
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