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南外村の歴史と史跡
史跡めぐり
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| 小出台地や山王台で、発掘された旧石器や縄文期の遺跡が村内だけで11ヶ所もあることから、この地域はその昔、県南の要所であったと言われています。この他にも南外村には、由緒あるお寺や神社史跡がたくさん残されていて、史跡散歩にはうってつけ。また、石碑や一里塚なども数多く残されており、要所要所に標柱もあり、昔日の南外をかいまみることができます。 |
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今から約七百年ほど前の窯跡もそのひとつです。焼き物の盛んだったことをうかがえる貴重な史跡で、大畑、小出、赤平沢にかけて壺、かめ、すり鉢などがつくられていました。土手の古柵(こさく)と呼ばれる豪族の屋敷跡は、105号線沿いにあり、深い堀や矢倉をめぐらせていた様子が記録されています。村ではこのような史跡を大切に保存する運動を行っています。 |
勝軍山神社(しょうぐんざんじんじゃ)
常泉寺(じょうせんじ)
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古文書にもその名が多く登場する、由緒あるお寺です。その静かな佇まいは歴史を今に伝えています。
常泉寺 TEL.0187(73)1024
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昔があるから今がある。
常泉寺住職 田口 清謙 |
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村内で収集された石器、土器片からは河岸段丘や山麓に古代の居住跡が散見されます。 また、中世戦乱の世になると、四方山に囲まれた大地を天然の要塞として城、館が築かれ、それら数多くの城跡が点在しています。源平の合戦に敗れた平氏が隠棲したとも伝えられ、多くの文物や窯跡などもあります。
特に揚土古館山の一画に愛宕山を擁した、小笠原信濃次郎光冬、尾張守長景、後楢岡氏の城跡が往古を歴然と語り、長禄二年(一四五六年)から慶長七年(一六〇二年)の家康による領地、居城没収までの栄枯盛衰を今に伝えています。また、当時の領主や領民の心の支えとなった神社や寺院も残っています。
義家が奥州平定に参籠祈願したと伝えられる勝軍山神社、領内鎮守であった天台宗神体寺(日吉神社)、楢岡氏祈願所の真言宗観音寺(田屋)、その末寺行見坊(高野)がそれです。神仏の加護と感応道交を、こいねがい生きた証です。人間の営みは往古から自然と密接な関わりの中で歴史や文化を築いて後の遺産としてきました。
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資料:南外村教育委員会編「私たちの南外村」より抜粋
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