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秋田県大仙市公式ブログ

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スイセンの開花

太田地域では、ここのスイセンが毎年一番に咲くというスポットがあります。農道の南側の法面で日当たりがよく、近くに大きな民家があるため風も当らないという場所です。
今週の月曜日から「そろそろ咲かないかな」と待ちわびておりましたが、本日3月27日ついに開花を確認しました。

太田のスイセンロードが、皆さんのドライブを楽しくしてくれる季節が始まります。

新型コロナの影響で、様々なイベントや催しが中止や延期になり、自粛ムードが蔓延している、こんな時こそ太田のスイセンロードのドライブがおススメですよ。
ちなみに黄色のスイセンの花言葉は「私のもとへ帰って」だそうです。ん~・・・大人な物の見方をするとなかなか意味深ですが、ドライブという観点から考えると安全運転でおかえりなさい、ともとれますよね。
黄色のスイセンをみながら、太田へぜひドライブにおこしください♪

おいしい田んぼ

白鳥が越冬を終えて、北の空へと飛び立ち始めています。
広大な仙北平野、田んぼが整然と並んでいますが、なぜか白鳥は一枚の同じ田んぼに群れをなしています。不思議ですよね。田んぼにいる白鳥は、秋の刈取り時に落ちた穂や、成長が悪く籾殻に残ってしまった米を食べているそうです。人間には同じように見える田んぼでも、白鳥がいるのはきっとおいしい田んぼなのでしょうね。

写真を撮る側としても「おいしい」田んぼにいる白鳥を発見しました。
一目で太田とわかる「大台スキー場」をバックに、くつろぐ白鳥たち。なかなおいしいポジション取りです(笑)

さて、鳥は全部で何羽でしょう?
正解は5羽。コメリのマークを見落とさないでくださいね(笑)
いつもにも増して短かった今冬、大台スキー場の残雪と白鳥のくつろぎで、冬の終わりを感じたワンシーンでした。

太田分校生徒会が受賞 「元気なふるさと秋田づくり」顕彰事業 表彰

仙北地域振興局の「元気なふるさと秋田づくり」顕彰事業 表彰式が今年も行われました。この事業は、平成19年度から実施されており、これまで65団体と3個人が表彰されています。その名のとおり「元気なふるさと秋田」を創るべく、自立的・主体的な活動を行っている団体・個人を表彰するもので、表彰を通して地域づくり活動の活性化を図ること、そして多くの県民への普及・啓発を図ることを目的に行われています。

今年度の「元気なふるさと秋田づくり」顕彰事業表彰式は、2月19日(水)に仙北地域振興局で行われました。今回は3団体が表彰を受け、そのうち太田地域からは、大曲農業高等学校太田分校生徒会が受賞されました。

太田地域の地域づくり活動の中でも、太田分校の活動は重要な軸の一つと言えます。
太田分校は「地域とともに歩む太田分校」をスローガンとしています。まさにそのスローガンどおりに、農業を通じた活動、伝統芸能の継承普及活動、スポーツを通じた活動などで、地域交流活動を展開しています。
中でも、今回の表彰では、毎年行われているグラウンド・ゴルフ大会の開催が評価されました。これは、生徒会が主体となり企画・運営している大会で、今年度で19回目の開催となります。地域の方と分校生とが混合でグループをつくり、一緒にホールを回りプレーをしながら交流をはかるというもので、地域交流・世代間交流を目的としています。プレーだけでなく、交流アトラクションで郷土芸能部が演舞を披露したり、一緒に◯Xクイズを楽しんだりと、毎年趣向を凝らしたおもてなしをしています。

また、太田支所・中里温泉レストランと連携して取り組んでいる太田分校レストランの取り組みも評価されました。こちらは太田地域の食と農の魅力を発信する取り組みです。メニューには分校生のアイデアが取り入れられ、当日は接客や調理補助を担当しています。テーブル小物やメニューのしおりを手作りしており、細やかなおもてなし精神が来場者の好評を得ています。大仙市外からの来場者も多く、広く太田地域をアピールしてくださっています。

表彰式で、浅利蓮生徒会長は「地域の皆さんのおかげで充実した活動ができている。先輩たちが地域の皆さんとつくりあげてきたどこにも負けない自慢の活動と言える。この学校でなければ、地元の良さに気づかないこともあったと思う。後輩には地域の皆さんとともに、これからも地域の魅力を発信する活動を続けて欲しい」と挨拶しました。

地域の高校生が、地域のために動くその姿は、地域住民に元気を与え、まさに「元気なふるさと」を創る存在となっています。
太田分校の皆さん、受賞おめでとうございます。「地域とともに歩む」姿勢から、太田支所では同じ思いを持つ同志のように感じており、今回の受賞はとても誇らしいです。そして、高校生という若い皆さんが、この地域を大事にしてくれている気持ちには、大きな大きな感謝があります。先輩から後輩へ「どこにも負けない自慢の活動」を受け継いでいってほしいと思います。
これからもどうぞよろしくおねがいしますね。この度は、本当におめでとうございました。

太田東小6年かんじき体験

2月21日(金)大台スキー場で太田東小学校6年生の皆さんがかんじき体験を行いました。

教えていただくのは種まきや稲刈りなどでも講師をしてくださっている高橋静良さんです。高橋さんは「雪不足でスキーなどの雪遊びがあまりできなかった子供たちにかんじき体験を通して雪で遊ばせてあげたい」との想いで太田東小学校へかんじき体験を提案したそうです。

高橋さん手作りのかんじき

かんじきを手作りしてくださった高橋さん。

なんと6年生全員分を準備してくれていました!

昔から太田地域では、大きく曲げる必要がある輪の部分に「じさき」と呼ばれる木が使われており、

高橋さんは「じさき」は腰の曲がったおじいさんのような木からきている呼び名ではないかと話してくれました。

「じさき」は若木でなければ、硬く折れやすいため、若木でちょうど良い太さのものを探すのが大変だった。寒い時期は皮をむくのが難しいため、お湯でふやかしてむいている。と高橋さん。

継ぎ目の部分は植物のツルを使うのが昔ながらの手法ですが、今回は針金を使用しています。

また、でっぱりとなっている部分は「ツメ」と呼ばれ、滑り止めの役割があります。ツメにはカエデやケヤキなど硬い木が使われますが、今回は桜の木が使用されていました。

「はじめにつま先をかんじきのヒモの間に通してからカカトを合わせて、残りのヒモでカカトを固定する。こうすればなにをやっても外れなくなる」と高橋さんがかんじきの履き方を説明。

早速実践してみる皆さんですが、なかなか履けずに四苦八苦。

高橋さんも「最近の子どもは足も大きいね~」とかんじきに生徒の足が納まらずに想定外のご様子。

どうにかかんじきを履き終えた皆さん。

「道路は逆に歩きにくいね」

「最初は違和感があるけど慣れると長靴より歩きやすいよ〜」と言いながら、

スキー場の中腹まであっという間に駆け上っていきました。 元気いっぱいに走り回っていたため、暑くなり上着を脱いでいる人もちらほら。

そして最後にはかんじきよりも雪だるま作りに夢中に。。。

やっぱり今シーズンは雪がなくて物足りなかったのでしょうか。より大きな雪だるまを作ろうと大盛り上がりでした。

「子ども達が喜んでくれているのがなにより嬉しいです」と高橋さん。

高橋さんより「みんなはもうすぐ卒業ですね。風邪を引かないようにして、卒業式を迎えてください。」と温かい挨拶がありお開きに。

今年は雪が少なく過ごしやすいなと思っていた私ですが、皆さんが遊ぶ姿に元気をもらうとともに、やはり雪は太田にとっての大切な資源であると感じさせていただきました。

来シーズンは適度に雪に降ってもらいたいな〜と思えるかんじき体験でした。

高橋さん、東小のみなさん、貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

横沢東集落 つなぐ伝統行事

2月15日(土)、横沢東集落会による「天筆焼き」が行われました。
昔は太田地域内の各集落で行われていた小正月行事の「天筆焼き」も、今では珍しいものとなりました。「天筆焼き」はカマクラと呼ばれる稲わらの塔に火をつけ、燃え盛る火で願いごとを記した五色の短冊(天筆)を焚きあげ、それぞれの願いが成就をすることを祈るものです。
「天筆焼き」を各集落で続けていくには、カマクラを造る技術の伝承も必要ですし、材料となる稲わらの確保も必要です。「天筆焼き」を知っている人材がいて、さらにそれを伝えようとする情熱もなければ継承はなかなか困難です。
横沢東集落会では、30年以上途絶えていたこの天筆焼きを昨年復活させました。復活を後押ししたのは、「地域の伝統行事を子ども達に伝えたい。今こそ伝えなければいけない」という強い想いでした。
この横沢東集落の近辺はもともと未開の地であり、終戦後に入植者が拓いた地域です。今、集落会を支えているのは開拓2世にあたる方々が多く、苦労した親たちの姿をみて育ち、自らも苦労を重ねた皆さんです。次に伝えたいという気持ちが強いのも納得です。また、数年後には圃場整備によって、この開拓の地も風景が大きく変わることもあり、子ども達に何か残したいという想いもありました。
そんな想いから復活させ、2年目となる今年、「去年やったば、あまりにおもしろくてよぉ」とお父さんたちが口を揃えます。少年のように、朝から嬉々として雪運びやら会場設営やらに精を出します。メンバーには、農家さんはもちろんですが、大工さん、機械のオペレーターさんなど役者がそろい、チームワークもバッチリです。

稲わらは、農家さんが刈取り時に各自とっておくそうです。今日のこの日のために、秋から準備が始まっていることを知りました。

お母さんたちは、集落会館でおにぎりとあたたかいお味噌汁を手作りして、振る舞います。

子ども達は、ミニかまくらづくりやもちつきなど大人と一緒に体験、明るい歓声を響かせます。

 

ついたお餅でおしるこが振る舞われ、みんなで食べるのもまた楽しい。

まさに集落会のみんなが一つになって、楽しんでいることが感じられます。

 

メインの天筆焼きは17:30から神事が執り行われた後、17:45頃に始まりました。
日が傾き始めた時間で、神聖な雰囲気がなおさら際立ちます。

稲わらの塔に火をつけるのは、子ども達が行いました。

火が安定して子どもが近づいても大丈夫になると、天筆を焚きあげます。

天筆の願いごとを聞いてみると、子ども達は「マラソンで1位になれるように」「野球でエラーをしないように」「ヒットをたくさん打てるように」「野球とスイミングで活躍できるように」「勉強で100点をとれるように」など具体的で様々です。大人の方にも聞いてみましたが、「内緒」だそうです(笑)
皆が楽しい気持ちで見守る中、火の粉をまとい天に向かう天筆をみると、神様も楽しくなって全ての願いを成就してくれる気がします。内緒のお願いもきっと叶うのでは・・・(笑)

最後は、大人も子どもも交じって、福分けが行われます。軽トラックの荷台からリズミカルに撒かれるみかんやお菓子を拾います。サービスが良くてたくさん撒かれるので、準備がいい方はビニール袋持参です(笑)

集落の子どもから大人まで心を一つにして取り組む事業は、優しくて楽しいとつくづく感じます。楽しそうな大人の姿を見ると、子ども達もきっと楽しいはず。今回の天筆焼きを通じて、横沢東集落会のチーム力を感じました。
伝統行事は、参加することで行事の意味を知り中身を知り、先人の想いを知り、次につながるのだと感じます。とてもいい行事を見せてもらいました、横沢東集落の皆さん、取材協力ありがとうございました。今後もつながり、受け継がれる行事となっていくことを願っています。

太田の紙ふうせん海を渡る part3

雪国の2月は、小正月行事が盛りだくさんです。

大仙市も太田の火まつり、仙北地域の払田柵の冬まつり、西仙北地域の刈和野の大綱引き、大曲地域の川を渡るぼんでんや大曲の綱引き、鳥子舞、そして中仙地域鶯野の火振りかまくら等々、みんな違ってみんないい小正月行事が大仙市の冬を彩っています。

遠く台湾でも、春節(旧暦の正月)から数えて15日目にあたる夜(旧暦1月15日の夜)を中心に、前後数日間、家々の軒先や街角に燈籠(ランタン)を飾り、新年最初の満月を祝う「元宵節(げんしょうせつ)」というお祭りが各地で開かれています。
この元宵節というお祭りは、高さ1メートルほどの紙ふうせん数百個を一気にあげる天燈上げ(ランタン飛ばし)と、その年の干支をモチーフにした巨大で立体的なランタンを会場に飾るランタンフェスティバルの大きく2種類があるようです。
2015年(平成27年)には、長年交流が続いている大曲青年会議所と台湾新北市中和区の中和國際青年商會の縁で、太田の火まつりの紙ふうせんが初めて海を渡り、平渓天燈祭(ピンシーてんとうさい)で異国の空にあがりました。その後、2017年にも紙ふうせんが海を渡っています。
2015.3.10のブログ⇒太田の紙ふうせん海を渡る
2017.2.16のブログ⇒太田の火まつり coming soon part4 ~太田の紙風船海を渡る~

今年は、台湾新北市元宵節燈会(しんぺいし げんしょうせつとうかい=新北元宵ランタンフェスティバル)に、太田の火まつりの紙ふうせんが展示されることになりました。
西山光博副市長を団長に、太田の火まつり実行委員会の鷹觜信行実行委員長など5人が2月7日の夜の開幕点灯式に出席してきました。

最初に太田の紙ふうせんの展示に尽力してくださった新北市樹林区公所(新北市の樹林支所、人口18万人余り)を訪問。職員のみなさんから熱烈な歓迎を受けました。

陳奇正樹林区長から、樹林区の概要などの説明を受けた後、2020新北市樹林之美新春嘉年華燈會(2020年樹林の美新春カーニバルランタンフェスティバル)会場へ。ここでは小、中学生が絵を描いたランタンを飾り、クリスマスから正月、春節そして元宵節までを祝い、展示されたランタンの中から優秀な作品が選ばれるそうです。

そして新北市元宵節燈会へ。午後6時30分から会場に設けられた水岸ステージで台湾の少数民族が演舞を披露し、7時に侯友宜新北市長の合図のもと点灯式が行われ、今年のテーマである「子年(ねどし)と水岸風情」をモチーフにした数多くの立体的なランタンに明かりが灯りました。

 

 

 

会場には国際交流ランタンエリアが設けられており、青森ねぶたと太田の紙ふうせんが隣り合って展示されていました。立体的で色鮮やかでエネルギッシュな青森ねぶたと、シンプルな円筒型で余白の美を活かした太田の紙ふうせんとは対照的でしたが、周りがきらびやかな分、太田の紙ふうせんが際立って美しく見えました。

青森ねぶたの関係者として開幕点灯式に出席していた青森市役所と青森観光コンベンション協会の方がたによれば「こんな紙ふうせんは初めて見た。とってもきれいですね。青森県ではこのような紙ふうせんをあげるという風習は聞いたことがない」とのこと。

 

 

台湾の首都台北市を囲むように位置する新北市は人口約400万人、新北市元宵節燈会には2月7日から3月1日までの期間中、台湾のみならず世界から約300万人が訪れるそうです。

 

太田の火まつりは、太田町公民館が「郷土を愛する心が文化を育み豊かな地域づくりにつながる。うすれゆく地域の小正月行事を伝承していこう」と町民に呼びかけ、昭和57年2月20日(土曜日)に、太田町公民館と太田町連合青年会が主体となり、大台スキー場入口付近の田んぼを会場として借りて、「ふるさと火祭り」を開催したのが始まりで、第3回目の昭和59年から「太田の火まつり」に名前を変え、今年2月1日に39回目の太田の火まつりを終えました。
実は私は、第1回目の「ふるさと火祭り」からかかわっています。当時は、地元の青年会の一員として、公民館事務所が入っていた生活改善センターの集会室に毎晩のように集まり、お年寄りの指導を受けて、紙質や大きさなどを試行錯誤しながら青年会の仲間とともに紙ふうせんを作っていました。始まりのころは、五穀豊穣や家内安全などの願いや協賛事業所名などを書いた紙ふうせんでした。紙ふうせんに太い筆で文字を書くのが私の役割でもありました。紙ふうせんに絵を描くようになったのは、少し後からのことです。

また、このころは西木村の老人クラブの方がたが、紙ふうせんの作り方を太田へ習いにも来ていました。
5年前に太田地域の80歳代のお年寄りの方がたから聞いた話によれば、昔は習字の書き損じた紙や新聞紙などで作った簡素な紙ふうせんを、稲わらを燃やした煙でふうせんをふくらませ、願いを込めて夜空に解き放ったそうです。太田地域で紙ふうせんあげが、いつの時代から行われていたかは定かではありませんが、お年寄りの話などからすると、少なくとも100年以上前にはすでに紙ふうせんあげが行われていたと思われます。

こうして長い年月の間に、簡素な紙ふうせんから美しい紙ふうせんに、稲わらの煙からガスバーナーの熱風に変化していますが、地福円満や五穀豊穣、無病息災、そして子どもたちの健やかな成長を願って行われる行事を通して、今を生きる私たちは先人の思いを知ることができます。人々の願いは、今も昔も変わりありません。そして台湾も同じでした。

東北3大まつりの一つで、日本を代表する夏のイベントでもある「青森ねぶた」と同格の扱いで太田の紙ふうせんが展示され、長年、太田の火まつりにかかわってきた私は、とても誇らしく、感無量の思いでした。

これまで私は、紙ふうせんは空にあげるものだと思ってきました。紙ふうせんを展示することは一度も念頭にしたことがありません。また、太田の火まつりの際は、紙ふうせんがふくらむと空に放つため、紙ふうせんの美しい絵は一瞬しか見ることができませんでした。
こうして台湾で展示された太田の紙ふうせんを見て、古くから伝わる行事の伝承は、目的を見失うことなく、時代の変化に合わせて少しずつ変化させ、魅せる(見せる)工夫も必要だと感じました。

太田の火まつりは、来年40回目の節目を迎えます。
火まつりの始まりのころは、紙ふうせんが海を渡るなど誰も思っていませんでした。
来年も太田の紙ふうせんを台湾で展示したいと樹林区長からお話しがありました。
台湾と大仙市の縁をとりもってくださった新北市の陳奇正樹林区長に深く感謝するとともに、太田の紙ふうせんが結ぶ台湾との縁が、人と人との交流、やがては物流を生み、経済交流につながることを願います。

第39回太田の火まつり

2月1日(土)、奥羽山荘西側広場において「第39回太田の火まつり」が開催されました。まさに雪不足に悩まされながらの開催でしたが、実行委員会の強い意志のもと、規模を縮小することなく無事に予定通り実施することができました。
太田の火まつり実行委員会も、今年も無事に開催できたことに安堵と達成感を感じています。

実行委員の皆さんは、前年の11月から会議を重ね、資金繰りや当日の運営方法などについて準備作業を進めてきました。
一方で、開催間近の1月中旬になっても雪は一向に積もる気配がなく、まつり内で行われる小正月行事への影響が心配されましたが、実行委員会では「雪が無ければ無いなりに、規模を縮小せず実施する」として、予定通り開催するという判断が下されました。

前回のブログで紹介していますが、開催に向けて、実行委員と支所職員とが協働で、太田地域内の排雪場や公共施設の軒下などに残っている雪をかき集め会場づくりを行いました。

火まつりへの決意

どうしても雪が必要なのが、天筆焼きで使われるカマクラと呼ばれる塔の土台部分、そして、雪中田植えのほ場となる部分でした。
開催4日前、かろうじて会場に必要な雪は用意したものの、その後の天気は、気温が高いうえに雨まで降る始末。せっかく集めた雪が消えてしまわないようにビニールシートをかけたり、固く固めたりと、最後まで気の抜けない、集めた雪を守るための作業が行われました。

そして迎えた当日。
会場には集めた部分以外には全く雪が無く、地表がむき出しになっているという状態でしたが、天筆焼き用のカマクラの塔はしっかりとそびえ、雪中田植えのほ場も何とか持ちこたえているのを確認し、まずは一安心。

 


このような中開催された、太田の火まつりの様子をご紹介します。

午後5時、開場に合わせて、本部前では大仙市商工会婦人部による甘酒が振る舞われました。
温かい甘酒を飲んで温まろうと、早くから集まったお客さんが列を作りました。

小正月行事に先立ち、関係者出席のもと、ふれあい交流館では神事がとり行われました。
周りには静かに神事を見守る観客の皆さんの姿がありました。
厳かな神事の後は、関係者の皆さんによる福分けがあり、神事でお供えしたお菓子が会場にいる子どもたちに配られました。

 

JA加工部による餅振る舞いでは、温かいつきたてのお餅が振る舞われました。
ふれあい交流館で行われた餅つきも、観客の皆さんには大好評。
長身で金髪のひときわ目を引く美人さんも餅つきを体験され、国際色豊かな餅つきとなりました。

午後6時には、鷹觜実行委員長より開会のあいさつがあった後、第一回目の紙風船上げが行われました。
紙風船は普段、ガスバーナーで温めた空気を送り膨らませた後、火種を付けて上げますが、今年は降雪が無いことから、着地した際に延焼する危険を回避する目的で、火玉をつけず紙風船内にためた暖気だけで上げることとしました。
空は晴れ、風もなく、紙風船上げには絶好のコンディション。
例年より気温は高いことから、温度差でちゃんと上がってくれるか不安な面もありましたが、無事成功!
地元の保育園、幼稚園の皆さんが作った紙風船が空高く舞い上がりました。

田の尻集落の皆さんによる、「雪中田植え」の様子です。
雪中田植えは、「たっこたっこ」または「正月田」とも呼ばれ、水田に見立てた雪上に束ねた稲わらと大豆の殻を植えるようにして立て、その年の作占いと豊作祈願をするものです。
新雪を使う例年とは違い、雪を持ってきて作った固雪の田んぼでしたが、田の尻集落の皆さんのアイデアで、先に雪に穴を空けておくことで固い雪へも稲わらを植えられるよう工夫が凝らされていました。

田の尻集落の水谷さんは「せっかく準備してもらった雪。集落の中で固い雪でも植えられるように考えた。」と話してくださいました。

東今泉集落の皆さんからは迫力の太鼓演奏が披露されました。
この「東今泉八幡太鼓の寄せ太鼓」は、東今泉集落に伝わる「東今泉神楽」をもとに再興したもので、集落の幅広い世代で顕彰しながら長年にわたりその技術が受け継がれています。迫力ある演奏とパフォーマンスで集まった観客を魅了していました。

 

そして、本日2回目の紙風船上げが始まりました。
今回、地域、小中学校、大農太田分校、各種団体などで作られた紙風船は38個。
空は依然として穏やかで、大勢の観客に見守られながら、紙風船が一つ、また一つと夜空に放たれていきました。

 

小正月行事を締めくくるのは迫力満点の「天筆焼き」です。
藁で作られた約8メートルのカマクラと呼ばれる塔に火をつけ、その燃え上がる炎に願い事が書かれた5色の天筆をかざし、炊きあげることで願い事の成就を祈るものです。 
このカマクラは、火まつり世話人の武藤定志さんと有志の皆さんの手によって毎年作られています。武藤さんによると、今回は周りに雪が無い事を考慮して、あまり燃えすぎないようにカマクラに使う藁の分量などを調整してくれたのだとか。長年の経験がなせる業です。
また、天筆に願い事を書いてくれたのは、太田地域の小中学生の皆さんです。
地元の消防団員の皆さんが厳重に警戒線を敷く中、燃え盛るカマクラの炎が、天筆に書かれた子どもたちの願いを天高く炊き上げていました。

 

そして、天筆の残り火と冬花火が、イベントのフィナーレを彩りました。

 

こうして大盛況のうちに幕を下ろした39回目の太田の火まつり。
例年にない雪不足は、地域の小正月行事がいかに雪と密接であったかを我々に再確認させるとともに、「雪が無ければ無いなりにやる」という関係者の努力と工夫が試された貴重な一回であったように思います。

来年の太田の火まつりは、いよいよ第40回の大きな節目を迎えることとなります。
雪の無い今年をやりきった達成感と自信から、たとえ雨でも、雪が無くとも「やれる!」...とは思いつつ、やはり適度な雪があればなお良いですね。
来年は適度な雪が積もっていてくれることを願いつつ、無事に開催されることを祈っています。

火まつりへの決意

あまりの降雪の少なさに、冬のイベントの開催が次々と中止になっています。
そんな中でも、今週土曜日2月1日開催の「太田の火まつり」はやります!強い決意をもって、開催に向けた準備を頑張っています。

「太田の火まつり」は、天筆焼きや紙風船上げ・雪中田植えなど太田地域に伝承される小正月行事を集め開催されるものです。冬の観光イベントではなく、あくまで小正月行事の伝承を目的としていることから、中止にはできない、実行委員会での総意でした。
1月23日、実行委員参集のもと、開催前の最後の実行委員会が開かれましたが、「中止」というフレーズは1人からも一言も出てきませんでした。そして、雪がないことへの工夫が議論されます。「火まつり」というように、天筆焼きも紙風船上げも火を使用します。雪が積もった上でなければどちらも危険です。もちろん雪中田植えにも雪は必要です。会場に積雪がなくても必要な分の雪を運ぼう、工夫してまつりを開催しようというのが、実行委員会の決意です。

天筆焼きは、1メートル以上の雪の土台をつくること、ワラの塔の上の方を小さくして火の子の飛散を予防すること、紙風船上げでは火の玉をつけずに熱風のみであげることなどが提案されました。会場となるグラウンド・ゴルフ場の芝を傷つけないよう、必要最低限の重機で作業をすること、重機の立ち入り時にはプラ敷きを準備することなど、とにかく前を向いた話し合いが行われました。

雪運びは1月24日に1回、そして1月28日にも行われました。見渡す限り積雪のない景色が広がりますが、どうにかこうにか地域内で雪を捜し手作業で軽トラックに乗せては会場に運びという作業を繰り返します。

天筆の土台が2つと、雪中田植え用のほ場ができあがっています。
私たちの決意が天に届きますように。
雪雲こいこい!

冬の足跡・春の足音

降っても降らなくても雪の話題になるのが、雪国の冬の定番。「今年は雪なくていいな」と多くの場で交わされた挨拶ですが、この頃ではそんな言葉も言うにはばかられる雰囲気の太田地域です。雪が降らな過ぎるのも困りました。太田では、営業できずにいる大台スキー場のこと、これから行われる火まつりのことを思うと、せめて山にだけはもっともっと雪が降って欲しいと願わずにいられません。

1月21日の朝は太田地域で積雪15㎝、久々に除雪車が出動するほどに降りました。今年度の除雪車の出動はこれで6回目です。太田では11月19日に初雪、その後12月4日からまとまった雪が3日連続で降り12月6日に積雪深45㎝をマーク、実はその12月6日の記録こそが今シーズンの現在までの積雪深のピークです。
たまに降雪はあっても、融けてしまうほどしか降っていません。1月さえも元日から数日降雪があっただけで、1月2日の積雪深33㎝をピークにその後は融ける一方となっています。
大台スキー場については、今シーズンで滑走可能となったのは1月3日から7日までの5日間のみという状況です。
気象統計上では、積雪が 30日間以上継続する状態を「根雪」というそうです。今シーズンは根雪がないなんてこともあるかもしれません。
降雪量についてシーズンごとの累積の降雪量で比較すると、1月21日現在で今シーズンは146㎝、昨シーズン(30年度)は281㎝でおおよそ2倍、その前のシーズン(29年度)は368㎝でおおよそ3倍となっており、今冬の雪の少なさが際立ちます。近年でもっとも降雪の多かった29年度には1月の下旬以降に1日で45㎝降った日もありシーズンの累積で940㎝も降っています。ひょっとして、これから降ることもあるのかも!?

 

冬の気配がどこかにないか、1月21日のまとまった降雪時に、冬である証を見つけるべく「冬の足跡」を探してみました。

 

 

 

 

 

 

 

    動物の足跡      歩道の足跡      除雪車の軌跡

 

実は降雪日の前日1月20日に、私は早々と「春の足音」を感じていました。雪の下からのぞくフキノトウを太田庁舎のすぐそばで発見していたのです。

春の足音を感じて、冬の足跡を探すなんて、皮肉なことになりました。
寒くて厳しい冬だからこそ、暖かい春が待ち遠しくありがたいはずです。こんなに雪が降らないことで、農作物に影響はないのか、夏に豪雨があるのでは、などと心配は尽きません。

もっともっと、冬ならではのスキーや小正月行事などを楽しんで「冬の足跡」を残したい、そう思いながら天気予報に一喜一憂する日々です。

太田町国見で民謡唄い初め

1月5日、太田町国見の北部センターで、「民謡日本一・冨岡久美子さんを応援する会」が開催されました。これは、相野集落の主催によるもので、近年活躍がめざましい地元在住の民謡歌手を応援したいという想いから、今回初開催となったものです。
冨岡久美子さんはお隣中仙の出身で太田に嫁がれました。民謡の時は旧姓の冨岡さんですが、本名は小松久美子さんです。

 

6歳の時から小田島純子先生(秋田民謡小田島会会主)のもとで指導を受け、子育てのため10年間民謡から離れていましたが、そのブランクをものともせず、復帰後も各種大会で好成績を納め唄いつづけています。なんと久美子さんは、秋田県内で開催されている全国大会と名のつく大会・全14大会のうち、11の大会で優勝の栄冠を手にしています。全国大会で優勝、つまりは民謡日本一のタイトルを11も持つ方が、太田在住とは誇らしいことです。この快挙を、地元みんなで喜び、地元みんなで応援したいという想いから、今回「応援する会」が開催される運びとなりました。
「応援する会」の開催が決まると、久美子さんから同じく太田在住の民謡歌手・浜口優花さんと倉田珠衣さんの友情出演が提案され、さらに当日には久美子さんのお師匠さんの小田島先生もいらしてくださるという、なんとも贅沢な「応援する会」となりました。
応援したい地元の皆さんと、それに応える民謡継承者、なんとも太田の人の良さが際立つ取り組みです。新年早々というのもまた、明るい一年のスタートにピッタリです。

当日会場には地域の皆さんが50名程集まり、お正月のご挨拶や、久々にお会いしたご挨拶などが飛び交い、おめでたい雰囲気が広がっていました。開会の前には、主催者を代表して草彅隆之さんから「相野集落は小さな集落ですが、1歩2歩と前に進んでいきたい。今日は、相野の顔となった民謡日本一の冨岡久美子さんの力強い歌声を聴いて、心に残してもらいたい」と挨拶がありました。
民謡が始まると会場中に華やかさと笑顔が広がります。
1曲目は3人娘が揃って唄う「秋田大黒舞」から始まりました。三味線・尺八・太鼓・すりがねの生演奏つきで晴れやかに唄う民謡に、会場全体が引き込まれます。その後、久美子さんが「本荘追分」を、珠衣さんが「秋田港の唄」を、優花さんが「新タント節」をそれぞれ伸びやかに唄います。会場からは一曲終わるごとに大きな拍手が送られました。

 冨岡久美子さん

 浜口優花さん

 倉田珠衣さん

その後、民謡メドレーが繰り広げられました。「秋田おばこ節」「秋田草刈唄」「新庄節」「生保内節」「真室川音頭」「外山節」がメドレー形式で披露されました。唄い手はもちろんですが、小田島一門の演奏技術にも惚れ惚れしてしまいます。
その次には三味線の合奏がされました。「起承転結2020」という曲でしたが、こちらも圧巻のバチさばきと迫力、盛り上がりのたびに大きな拍手が送られました。

その後も、「南外小唄」「秋田おはら節」「秋田飴売り節」「秋田船方節」「秋田長持ち唄」と続き、最後は「ドンパン節」で締めくくられました。
1時間ほどの民謡披露でしたが、新年早々にこんなに贅沢に民謡を聴けて、自分の今年一年の幸運を予感してしまいました。
相野集落の皆さん、今回は素晴らしい企画をありがとうございました。自治会が主導して、地域を元気にしようという取り組みは、太田支所としても頼もしい限りです。太田らしい「人の良さ」と「民謡の良さ」を存分に発揮した「応援する会」だったと思います。
今年一年、相野集落がますます活気づくよう、そして民謡3人娘さんがますますご活躍されることを、太田支所からも祈願しております。よい一年になりますように。

太田産あきたこまちが大嘗祭へ

令和元年も12月に入りました。令和元年ならではの喜ばしいニュースをお知らせします。
天皇の代替わりに伴う重要な祭祀(さいし)として、11月14日・15日に大嘗祭(だいじょうさい)が催されました。大嘗祭とは、皇祖である天照大神をもてなし、平和や豊作を祈願する儀式です。天皇は毎年11月に新嘗祭(にいなめさい)を行い、その年の新穀を皇祖はじめ神々に供え、自らも食べて豊作を祈願します。皇位継承後の最初の新嘗祭が、大嘗祭です。毎年行われる新嘗祭と違い、儀式を執り行うために大嘗宮という建物が建てられ、儀式後には取り壊されてしまいます。谷口太田支所長が、10月6日に建設中の大嘗宮を偶然にもカメラにおさめていましたが、この場所で太田の喜ばしいニュースが生まれることは、そのずっと後に知ることになります。

大嘗祭は豊作を祈る儀式であるため、中心儀式となる「大嘗宮の儀」では、全国から特産品が供えられます。これは、「庭積の机代物(にわづみのつくえしろもの)」と呼ばれ、秋田県からは、米・粟・大豆・セリ・リンゴ・マイタケ・ハタハタの7品目が供納されました。そのうち、お米は、なんと太田産のあきたこまちが選ばれました!米どころ秋田県の代表としてお米を供納できるとは、なんとも名誉なことです。
この名誉あるお米の生産者は農業歴50年以上の佐々木信尾さん(上南)です。信尾さんのお米が選ばれたと知った時、「すごい!」の次に私は「やっぱり~、さすが信尾さん」という想いがありました。私だけでなく、信尾さんを知る人にとっては皆が納得できる快挙ではないかなと思います。信尾さんは、JA秋田おばこ主催のおいしいお米コンクールで、5回も入賞しており「おばこの匠」に認定されています。そのうち金賞を受賞したこともある米づくりの名人なのです。

大嘗祭への供納について、信尾さんにお話を伺いました。
信尾さんに第一報が入ったのは、9月6日。全農秋田県本部米穀部参与さんと米穀部販売課の担当者のお二方が見え、信尾さんに供納について打診がありました。宮内庁から8月30日付けで中央会宛てに供納者の推薦依頼が届いたとのこと。それを受けて、信尾さんに白羽の矢がたったというわけです。信尾さんは、第一に驚きと「私でいいの?」という想いがあったそうです。そんな奥ゆかしい人柄もまた、適任だと思われた要素ではないかなと私は思います。信尾さんは、JA秋田おばこが高品質良質米の生産に積極的に取り組み、実証圃となっていることも選ばれた要因の一つではないかと思っているそうです。

推薦を受けることを決め、その後10月1日付けで信尾さんに宮内庁式部職から通知が届き、正式決定を実感したそうです。精米1.5キロを供納する方法としては、郵送・託送・持参の3種類が選べ、信尾さんは持参での供納を即決しました。せっかくの機会だと、家族も持参を後押ししてくれたと言います。
宮内庁への持参は、10月30日午前中でした。全国各地からの供納のため、午前中は悠紀(ゆき)地方(東日本)、午後が主基(すき)地方(西日本)と指定がされたそうです。信尾さんは、奥様と一緒に前日から東京に向かいました。当日は、皇居の坂下門を通り、宮内庁の建物の中へと入ったそうです。赤じゅうたんが敷かれた講堂に入ると、県ごとにテーブルが設置されており、秋田県の席につきます。式部長官がテーブルごとにお声をかけてくださり、信尾さんも「大変だったでしょう」と労いの言葉をかけていただいたそうです。当日供納者がいただいたお菓子の写真や、天皇皇后両陛下がパレードされた同じ通りでご夫妻で撮った写真などをみせてもらい、貴重な体験の裏側まで教えていただきました。貴重で有難い体験を、生の声として聞けるとは、こちらまで有難い気持ちになります。

信尾さんに、美味しいお米を作る秘訣を聞くと、水の管理とチッソ成分の抑制、そして乾燥調製の最後まで気を抜かないこととお話ししてくれました。水田の水管理では、無駄な分けつをなくすため6月下旬には15㎝の水位を保つなど、細かい管理を心がけているそうです。

信尾さんの米作りのモットーは「自然と調和し よりおいしいものを」だそうです。自然と調和し寄り添っているからこそ、自然の力を味方につけて旨味を引き出せているのだと思います。そしてもう一つ気づいたのは「調和」というフレーズは、まさしく信尾さんの人となりを表す言葉ということ。自然とだけでなく、信尾さんは地域とも人とも調和を実践しています。今回の名誉ある大嘗祭への供納も、信尾さんが築きあげた「調和」から引き寄せたものでないかなと感じました。

信尾さんから、「この経験をいかし、これからの心の糧としていきたいと思います。ここまでお導きいただいた関係各位様に感謝を申し上げますとともに、今後ともご指導くださいますようお願い申し上げます」と感謝の言葉がありました。この機会に、ぜひとも皆さんに感謝を伝えたいとのこと。
そして「地域に喜んでもらえたことが、一番うれしい」ともお話ししてくれました。
やっぱり「調和」の人ですね。こんなにうれしいニュースを地域にもたらしてくださった信尾さんのためにも、地域みんなでこの良いニュースを喜び合いましょう!
信尾さん、本当におめでとうございます。太田が元気になるニュースをありがとうございます。取材協力ありがとうございました。

奥羽山脈の霧氷

11月26日、青空が広がり太陽が出ていますが、気温は低くピリッとした冷気が漂っています。
奥羽山脈の稜線がくっきりしていて、今日は山がキレイに撮れる予感がした直後、県立自然公園管理員の倉田陽一さんが自然公園の巡回を終えて、太田支所に立ち寄ってくださいました。
なんともタイミングの良いことです。「いい写真ありますか?」という私の言葉を待っていたかのように、倉田さんは「これ、何だと思う?」と撮った画像を見せてくださいました。

雪でもないし、霜でもないように見えます。考えた末に「樹氷?」「違う。これは、霧氷(むひょう)」と教えてくださいました。今日は奥羽山脈の小鷲倉で霧氷の写真が撮れたとのこと。霧氷は過冷却された霧粒が風で木などに吹き付けられ、その刺激で氷となってついたもので、まるで白い花が咲いたように見えます。
霧氷を撮影できるのは珍しく、朝からキンと冷えていて、さらに霧氷がついた後に風がほとんどないため、お昼近い時間までカメラにおさめることができたと言います。
こまめな巡回をしてくださっている倉田さんでなければ、カメラにおさめることのできない風景ですよね。貴重なショット、倉田さんの許可をいただき、皆さんにもおすそわけです♪

空如作品 東京へ

来年2020年3月13日から5月10日まで、東京国立博物館 本館特別4室・特別5室で特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」が開催されます。これは、東京五輪・パラリンピックにあわせ政府が主催する「日本博」のプロジェクトの一つです。

この展示では法隆寺金堂壁画の模写や修復の歴史をテーマとし、江戸時代から明治・大正・昭和時代にかけての模写とガラス乾板によるコロタイプ印刷版を展示します。
そのなかで、鈴木空如筆の金堂壁画も展示されることとなりました。空如は、明治から昭和にかけて壁画12面を原寸大(大壁約3m×2.5m、小壁タテ3m×1.5m)で3度模写しました。
今回の展示では、東京国立博物館に寄託されている2作目と、大仙市が所蔵する1・3作目の1・6・10号大壁(6点)のほか、下絵8点の計14点等が展示されます。

10月30日・31日には、この大仙市所蔵の14点について、東京国立博物館へ搬出する作業が行われました。
模写図の1作目は昨年11月に箱根の吉池旅館から大仙市に寄贈されました。今回の展示で初めて一般に公開されます。3作目が搬出されるのは、平成26年の東京藝術大学大学美術館での展示以来2回目とのこと。搬出作業は細やかに厳かに行われていました。なかなか見ることのできない一つ一つの作業に、思わず見入ってしまいました。

模写図を慣れた手つきで丁寧に扱うのは、配送業者の担当の方々、文化財運搬には絵画や仏像など専門とする担当の方がいるそうです。丁寧なのに手早く、作業に無駄がありません。

一枚一枚の点検をされているのは、東京国立博物館の学芸研究部保存修復課保存修復室の瀬谷室長です。作品の現状を点検し、太田地域からの搬出前と搬出後、東京での展示後と帰ってきてからと全部で4回も点検をするそうです。

展示の前後や運搬により作品に変化がないことを確かめることはもちろんですが、この点検により、のりの剥離や保管についてのアドバイスもあり、作品の現状を知る貴重なタイミングともなっていました。
点検を一枚一枚行うのは、相当な気遣いと体力が要ります。この日は肌寒い日でしたが、一枚の点検が終わると汗ばむほど。まさにプロフェッショナルの仕事を見た気がしました。

こうして、空如作品は東京へと旅立ちました。
今年の春、太田文化プラザで「鈴木空如筆法隆寺金堂壁画展」が行われた際には、3作目と1作目のレプリカをじっくりと鑑賞することができました。地元太田を離れている方も、来年春には東京国立博物館で太田から搬出された空如作品もご覧になることができます。空如が生涯で模写した3組の金堂壁画が、一つ屋根の下に揃うのは70数年ぶりだそうですよ。国宝・百済観音も東京では23年ぶりにお出ましになるまたとない機会です。ぜひこの機会にご拝観ください。

特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」の公式サイトはこちらから↓
https://horyujikondo2020.jp/

秋田太田ライオンズクラブ 奉仕の秋

 太田地域の真木渓谷、川口渓谷の紅葉は10月下旬に見ごろを迎え、県内外から多くの方が渓谷を訪れ、紅葉を楽しみながらの登山や林道・遊歩道散策を楽しんでいただきました。

 さて、時は少し遡りますが、紅葉シーズンを目前にした10月13日(日)、川口渓谷では秋田太田ライオンズクラブの皆さんによる遊歩道の草刈り作業が行われました。
 この作業は、紅葉探勝に渓谷を訪れる方々が快適に散策できるようにと、ライオンズクラブの地域貢献活動の一環として、昨年度に引き続き実施いただいたものです。
 当日作業をしてくださったのは、藤谷知義会長を始めとする9名のクラブ員の皆さんです。 ちなみにこの日は台風19号の影響により、太田地域では早朝まで強い風雨に見舞われました。直前まで作業を実施できるか不安なところもありましたが、作業開始の9時頃になると天候も落ち着き、無事に決行することができました。

 作業箇所は川口渓谷遊歩道の車両乗り入れ最終地点からオブ山入口への分岐付近まで、約1kmの区間。今年の夏は天気がよく、暑い日も長く続いたため、遊歩道脇には雑草が茂り、一部では藪が遊歩道にせり出している箇所も見られます。
平地での下刈りとはまた違い、斜面に向かっての作業もありますが、草刈り機を巧みに使いながら丁寧に作業が進められました。

 作業を進めることおよそ2時間半、予定していた箇所の作業が終了。

 藤谷知義会長は、作業を振り返って「ここは川口遊歩道の第一印象を決めるともいえる最初の区間ということで、訪れる方々の目線に立ってやることが大切と思って作業をした。ちょっと刈りすぎてしまったかもしれないが、紅葉時期にはたくさんの方々が、快適に散策にしてくれれば嬉しい」と話していました。

 川口渓谷は、真木渓谷と並んで大仙市内有数の紅葉探勝スポットの一つです。
 その魅力を、地元太田の皆さんが認識し、自分たちから率先して奉仕活動を実施してくださることを頼もしく感じたところでした。
 台風一過の秋空の下、心地よい奉仕の汗をかいてくださった皆さん、本当にお疲れ様でした。

太田地域文化講演会

10月21日、太田文化プラザで太田地域文化講演会が開催されました。この講演会は、太田地域自治組織連絡協議会(長澤信徳会長)の主催で、太田地域にゆかりのある方を講師に迎え、ふるさと太田の良さを再認識するとともに、地域住民の教養と文化意識の高揚を目的に毎年開催しているものです。

今年は太田地域の誘致企業である株式会社ローズメイの原田青(せい)社長が「秋田の元気を作る~ローズメイの取り組み~」と題して講演をしてくださいました。

太田地域自治組織連絡協議会の長澤会長から開会にあたり、「ローズメイは太田の地に会社をおかれ地域の発展のために尽力されている。外から見た目と、住んでいる人の目では、私たちの気づかない部分があると思う。講演を聞いて、今日参加される特に中学生の皆さんには、刺激を受けてもらいたい」と挨拶がありました。

 

ローズメイは、昭和30年に前身となる双洋物産株式会社として原田社長の祖父が創業されました。「創業64年、みつばち商品44年」の歴史ある会社です。原田社長は2013年、35歳の若さで3代目社長に就任されました。太田町北開にある秋田工場は2004年6月に操業開始し、ローズメイ商品の製造から出荷までを秋田工場で行っています。
ローズメイは、大人気商品「オレンジスライスジャム」や、角館駅前にできた直営店、そしてその経営手腕をふるう若き原田社長が注目を集め、テレビや新聞・雑誌などにもたびたび取り上げられています。今回の講演会は、まさに「秋田の元気を作っている」方のお話が聞けるとあり、約200名の来場者がありました。

 

講演では、まずはローズメイの会社の紹介がありました。ローズメイの経営理念のコンセプトは「お福分け」だそうです。薔薇やみつばちといった、自然の恵みをたっぷりとうけた原料を使用した商品を作り提供し、お客様にその恵みを受け取り健康で幸せな人生を歩んでもらいたいとの想いから「お福分け」を掲げているそうです。安心でおいしい商品の中に、そんな優しい気持ちも加味されているとは驚きでした。
経営としては、2011年3月11日の東日本大震災がターニングポイントとなったそうです。停電による原料の廃棄、風評被害による定期購入の解約急増などで売り上げが激減しました。そんな中でも、従業員の雇用は守り、一緒に売り上げ増を目指しがんばったといいます。その経験から「秋田の元気を一緒に作りたい」と考えるようになったそうです。栗駒フーズさんや秋田魁新報社さんなどと新たなつながりが生まれ、47(よんなな)クラブ(全国の新聞社が厳選した逸品を集めたお取り寄せサイト)に参加し、オレンジスライスジャムの大ヒットに結びつきました。その後はクラウドファンディングによる角館のファクトリーショップのオープン、バラ摘み体験をコンテンツ化した観光客の取り込みなど、まさに秋田の元気を作り出しています。

 

講演の参加者に中学生が多かったことから、自らの子ども時代のこともお話ししてくれました。子どもの頃は冬休みは太田に滞在していることが多かったそうです。大台スキー場でスキーを覚えたこと、近所のお兄さんと「近くのラーメン屋」と言われ大曲までラーメンを食べに行ったエピソードなどをお話ししてくださいました。中学生の皆さんに、今の現状に満足していない人も未来には楽しいことが待っている、今いる世界が全てではなくこれから広い世界が待っている、「自分なんてどうせ」と思っているとそんな自分になってしまう、自分の可能性は自分が一番信じてほしいと語りかけました。夢や目標は「自分で決めること」、そして「夢を使命感に変えてほしい」とも強調します。自分の中から湧き出た夢や目標、その先に「社会に応える使命感」を考えてすすんでもらいたいと訴えました。

最後に「ハチドリのひとしずく」というお話を紹介してくださいました。森の木に雷が落ちて山火事が発生し動物たちが逃げ出しました。そんな中、小さなハチドリだけは山に残り、くちばしに水をためては燃え盛る火に向かってに水をポトリを落とし続けました。動物たちにどうしてそんなことをするのか聞かれたハチドリが「私は私にできることしているの」と答えたというお話です。誰かがやってくれると思っていると誰もやってくれない、自分が自分の置かれた立場でできることをできるだけやることが大事だとお話しされました。

講演後には中学生から、地方で同じような取り組みをしているところは他にありますか?といった質問や、太田にもお店をつくってもらえませんかという提案までありました。原田社長のお人柄やお話の内容から、中学生にも大人にもわかりやすく親しみやすい講演となりました。

 

講演会の最後には会場全員で秋田県民歌の斉唱がありました。ピアノの生演奏とあかまつコーラスグループの先導により、今年は1番から4番までフルコーラスで歌いました。

原田社長、この度は貴重な講演をありがとうございました。
これからも、秋田のそして太田の元気を作る先導役となって、ますますご活躍されることを願っています。
参加いただきました皆さん、ありがとうございました。これからも、地元でがんばるローズメイへの感謝と応援をともにしていきましょう!

太田のリンゴで元気になぁれ

10月15日、太田町横沢にある農業振興情報センターで、おおたわんぱくランドの年長さんがリンゴ狩りを行いました。
同センターでは、収穫体験を通して子ども達に農業に興味を持ってもらいたいと、毎年ほ場でのリンゴ狩りを実施しています。

10:00頃、ほ場内のリンゴ畑に、わんぱくランドの年長さん27人と先生方、農業振興情報センターの所長・先生・研修生が集まりました。
最初に、センターの木村一虎先生からリンゴについて説明がありました。

今回、もぎ取りしたのは「千秋(せんしゅう)」という品種です。
リンゴは明治の頃、アメリカからきたフルーツだそうです。リンゴが赤くなると医者が青くなると言われるほど体によく、1日1個食べるととても健康にいいと教えてくださいました。「千秋(せんしゅう)」は、「ふじ」を片親にもつ秋田県でつくられた品種で、「ふじ」より半月ほど早く収穫される種類とのこと。5月に花が咲いて、ちょうど今頃が収穫期だそうです。なんと今回は、子ども達の来訪を待っていたかのように、季節外れにリンゴの花が咲いていました。

実をもぎ取るタイミングで、花を手に取ってみられるなんて、年長さん達はもちろん、私もずいぶん強運だとうぬぼれてしまいます。リンゴの木の一本には、100個以上、多いと200個ほど実がなるそうです。

 

説明をよく聞いてから、早速もぎ取り体験が始まります。もぎ取るリンゴは1人1個、赤色が鮮やかで大きいリンゴがおいしいよとアドバイスがありました。
どのリンゴにするか、みんな真剣に選びます。

高いところは研修生の方が抱っこしてくれます。

もぎ取ったリンゴを愛おしそうにみる子ども達が、またかわいい♪

「リンゴは一番好きなフルーツ」とお話ししてくれた女の子もいました。

 

リンゴをもぎ取ったあとは、ビニールハウスに移動して、シャインマスカットの試食がありました。ほ場で収穫された大粒のシャインマスカットを一人に2粒ずつ準備してくれていました。

農業振興情報センターのシャインマスカットは粒が大きい!そして甘いんです。シャインマスカットは高級フルーツですが、園児たちに「食べたことある?」と聞くと、多くの子ども達が「ある!」と答えます。さすが農業のまちの子ども達です。

 

 

リンゴのもぎ取り方を学んで、シャインマスカットの美味しさを堪能して、園児たちは乗ってきたバスへと戻ります。センター敷地内の通路を歩きながら、野菜の説明を受けます。「こっち側からキャベツ、白菜、ブロッコリー、カリフラワー・・・」所長が説明をしてくれます。

畑の土の上にある野菜は、子ども達の目にどのように映ったのか、この施設がどんなところか感じ取ってくれていればいいなと、カメラごしに願います。

 

 

農業振興情報センターでは、土の上にいるせいか、気分が晴れ晴れします。リンゴは体にいい元気の素、そしてリンゴ狩りの様子を見ることもまた、体と心にいい!そんなことを感じたひとときでした。

太田東小学校 キャリア講話

10月1日、太田東小学校(菅原潔校長・児童数106人)で、5・6年生を対象としたキャリア講話が行われました。この講話は、東小学校の生き方教育の一つとして実施されたもので、青少年育成大仙市民会議太田地域の協力を得て行われました。
講師を務めたのは、太田地域の北開工業団地にある小松ばね工業株式会社の会長・小松節子さんです。通称「小松ばね」の秋田太田町工場は、誘致企業として、1989年(平成元年)に太田での操業を開始しました。小松会長は、その当時の社長さんです。

「小松ばね」は1941年(昭和16年)、東京都大田区の町工場がたくさんある地区に、小松会長のお父さんが個人企業として創業されました。現在は大田区に本社/第一工場・第二工場・第三工場があるほか、宮城県に大河原工場が、そしてインドネシアにも子会社があります。
2005年(平成17年)の、NHKの朝の連続テレビ小説「ファイト」は、ばね工場を舞台としたドラマでしたが、工場の仕事場のシーンは「小松ばね」の工場で撮影が行われたこともあります。小松会長は、ドラマ制作の裏方として、ドラマ内の小道具や歴史考証にもアドバイスをされました。
また、2017年(平成29年)には、中小企業振興功労として叙勲「旭日単光章」を受賞されています。
小松会長は、普段は東京都大田区にお住いですが、この日は太田地域でのこの講話のために、当日日帰りで、太田を来訪してくださいました。
貴重な機会ですので、ぜひ小松会長のお話を聞きたいと思って、5・6年生と一緒に講話を拝聴してきました。

小松会長は、社長として32年間務められました。子どもの頃は、ばね会社の社長になるとは思ってもいなかったそうです。踊ることが好きでバレエをされていたとのこと、好きなことを続けるために、踊りに耐えられる体をつくろうと、練習を繰り返し筋肉を鍛えたといいます。舞台で踊ることは、観る人に評価されることであるので、さらに練習を繰り返すことを続けたそうです。バレエの先生をした経験があり、子ども達にも指導をされていました。つらくても続けることを厳しく指導されたそうです。バレエの衣装も自分で作りたいと思い、洋裁も習ったそうです。
お子さんは、1つ違いでお二人。年子のため二人同時に育てなければなりませんでしたが、バレエで培った体力と忍耐力で子育てもつらいと思わず乗り切ったそうです。
穏やかで上品な小松会長、バレエの経験が小松会長の心身の芯の強さと、品の良さの原点であることがわかりました。

会社に勤めた経験がなかった小松会長ですが、社長になって欲しいと言われ、社長になるためにたくさん勉強したといいます。聞いたこと学んだことを実践して勉強したそうです。15年、セミナーに通い続け、何度も同じセミナーを聞いたこともあるそうですが、時代や自分の能力が変わってくると、同じ話を聞いてもまた新しい学びがあるといいます。「勉強は死ぬまで必要」、「学んだことを深く追求していくことの大事さ」を強調してお話ししてくださいました。
バレエで鍛えた声を武器に、従業員の方にも大きな声で話して伝えてきたこともよかった、さらに、バレエの先生として教えてきた経験が、この人にはどんな仕事が向いているか人材の活用に活かせたそうです。
自らも学び、従業員の方々を引っ張っていくことは大変なご苦労だったことと思います。専業主婦から社長になられたとは知っていましたが、小松会長が経験された全ての経験が、社長として活躍されることに活きていることがわかりました。

小松会長が、なぜ太田に工場の誘致を決めたかというと、太田の風景に心ひかれたからだとお話ししてくださいました。どこからでも山が見えること、きれいな水が流れていること、田んぼの景色が季節ごとに変わることに感動を覚えたそうです。春・田んぼに水がはられ、そこに映る景色、夏・風に揺れる緑の稲穂、秋・黄金色の稲穂が揺れる様子、冬・一面全てが真っ白な雪に覆われる景色、それぞれが素晴らしい景色だとお話しされました。太田で従業員を募集し、東京に技術を学びに行ったり、逆に東京の従業員が太田に来て技術指導をしたこともあり、東京の従業員の方々もここの景色に感動したと言います。
私たちの周りにいつもある風景を褒めていただくことは、嬉しい限りです。小松会長の太田への愛着を感じました。

講演の最後には、「学校で学んでいる勉強の中から、大好きなスポーツの中からでも自分で出来ることを見つけテーマとして誰にも負けないくらいやり続ける事が大切です。好きな事なので、興味もわき深く学びたくなるでしょう。やり通すことの中から自分がどう生きたいか、どんな人間になりたいかを見つけることが出来ると思います。人はそれぞれの個性を持っています。それを尊重し、理解し、受け止めていく事の出来る人になっていく事が基本と思います。大勢の人の中でお互いを知り、仲良く付き合う事は人生の中で大切な事です。沢山の事を学び忍耐力を持って『人を思いやる心』で過ごしてください」と、お話されました。

その後、子ども達から小松会長に質問コーナーが設けられました。

Q. つらかったことは何ですか?
A.従業員が、一生懸命学んだけど、諦めて辞めてしまった時はつらいですね。

Q.一番売れた時期はいつですか?
A.携帯電話が売れ始めた時に、売り上げが増えました。二つ折りタイプの携帯電話の、ヒンジとSDカードの差込にばねが使われていました。あと、ドットプリンタの印字をするピンにもばねが使用され、国内でたくさんつくりました。その後海外でつくるようになりました。

Q.一日でばねは何個できますか?
A.年間で10億個ですね。一日となると、計算してみてください。発展させて考えることが大事ですよ。

Q.これからがんばりたいことは何ですか?
A. 日本は製造業の「ものづくり」より、今はサービス業・観光業が主流となっていますが、「ものづくり」の技術を延々と残してもらいたいと思います。そんな世の中になるようがんばりたいですね。

講演後、東小の代表から小松会長に花束が手渡されました。

6年生と記念写真

 

5年生と記念写真

小松会長の講話を聞き、私も「死ぬまで勉強」を心がけたいなと改めて感じました。講話を聞いたことも、勉強のひとつになりました。今回5・6年生というまだまだ未来のある子ども達がこのお話を聞けたのは、羨ましいことです。小松会長がお話しされたように、深く追求して広く学んでもらいたいと思います。
また、小松会長が太田へ想いを寄せてくださった分、太田に住む私たちも「小松ばね」を応援していきたいですよね。精密ばねを得意とする「小松ばね」、カメラやスマホにもばねは使われているそうです。製造業への感謝と、「ものづくり」への関心を常に持っていたいなと思います。

小松会長、これからも太田とのご縁を深く太く、おつきあいのほどよろしくおねがいします。貴重なお話しをありがとうございました。

太田の「◯◯の秋」

皆さんにとって、秋と言えば?
読書、芸術、スポーツ、実り、「◯◯の秋」の楽しみ方は様々ですよね。
私は断然、食欲の秋です。収穫されたサツマイモで大学イモやスイートポテト、里芋でいものこ汁、食べたいばかりに料理もはりきっています。今は新米が楽しみです。

太田の子ども達の秋ならではの活動から、「◯◯の秋」を紹介します。

まずは「文化の秋」
9月25日、太田北小学校の囲碁教室にお邪魔してきました。
大仙市では子ども囲碁普及事業の一環として放課後囲碁教室を実施しています。これは、囲碁を学んでみたいという児童がいる小学校に、囲碁をされる地元ボランティアの方が出向き、囲碁の手ほどきをするものです。月に2回ほどの頻度で、放課後に1時間程度、実施されています。北小では、3年生の男子児童が二人、囲碁を学んでいました。指導役は、国見出身で美郷町在住、太田北小学校の校長も務められた高橋先生です。

3年生の渡辺さんと鈴木さんは、囲碁教室は3回目、この日は「ゲタ」と「オイオトシ」について教わっていました。高橋先生がパターンを示し、「この場合、何とする?」と何通りも打ち方を考えさせます。ヒントを出しながら、「んだ」と「違う」を繰り返して戦略を学びます。私にはさっぱりわかりませんでしたが、次を見越して考える鍛錬になるかもしれないなと、囲碁への興味がわきました。

 

続いて「スポーツの秋」
9月26日、太田南小学校のマラソン大会を見せてもらいました。
1・2年生は700メートル、3・4年生は900メートル、5・6年生は1,300メートルの距離を走ります。この日は、スポーツ日和の秋晴れでしたが、走るとなると暑いくらいの日でした。
スタート時は、走りながらも周りの友達が気になるようでしたが、レースも中盤となると順位うんぬんより自身との戦いとなります。息が上がって苦しそうな表情にもかかわらず、ゴールが近づくとスパートをかけます。練習よりも1秒でも早い記録を残そうという気持ちが見て取れました。応援に駆け付けた家族や、他学年の子ども達の声援を受けて、ゴールを目指す真摯な姿にキュンとしてしまいました。

 

そして「実りの秋」
9月27日、太田東小学校の稲刈りにお邪魔してきました。
連日の晴天で稲刈り日和。青空、黄金色の稲穂、ブルーの体操服が眩しい稲刈り風景でした。

東小の学校田「なかよし田んぼ」では、一枚の田んぼを区切って、うるち米ともち米を作付していました。刈り取った稲穂は、一定量に束ねられ、はさがけ(天日干し)します。うるち米ともち米とが混ざらないように、はさがけの場所も分けられていました。鎌を使って稲穂を刈り取る担当、稲穂を揃えて束ねる担当、稲穂を運ぶ担当、はさがけする担当がいて、流れるように作業が進みます。作業を見ていると、お手伝いしてくださっているお家の方や地域の方の協力体制が素晴らしい!たくさんの指導役がいるおかげで、安全に順調に進んでいました。今回刈り取ったもち米は、11月の収穫祭でお餅にして食べるそうです。実りを体でそしてお腹で感じられるのは羨ましい限りです。

太田の各学校に足を運ぶ時、よく感じるのは、子ども達が地域で大事にされていることです。
秋らしい活動にも、地域の協力や応援がありました。地域の方々からは、この地域の良さを子ども達に伝えたいという想いが滲み出ています。
◯◯の秋、私も食べてばかりいないで、子どもと一緒に地域に出ていって大仙ならではの秋を楽しんでみようかなと、心を入れ替えています。
大仙市ではこの後、秋のイベントが目白押しです。スポーツ大会、芸術発表会、花火秋の章、稔りフェア、ジャンボうさぎフェスティバル、どれもこの地域ならではの秋です。
◯◯の秋を、ぜひ地元で堪能しましょう!

魅せる おおたの花だん

8月24日から9月1日を会期に「おおた花だんフェア」が開催されました。今年の夏は猛暑日が多く、雨が少なかったため、花にもツライ夏だったように思います。
8月中旬、太田地域を回っていても、例年より花の咲きが足りないなと思うことがありましたが、さすが花のまち太田です。気象状況が良くない中でも、「花だんフェア」では訪れる方の目を楽しませる花だんが並びました。今年の花だんの開花ピークは、9月の上旬頃だったようです。そんな中、9月12日には、秋田県花いっぱいの会の佐竹睦子会長が太田地域に来訪、全県花だんコンクールの実地審査を行っていました。
太田地域の花だんをお花見マップをもとに、ぐるっと!紹介します。

 

太田中学校(お花見マップ1)

 

南小神成花の会(お花見マップ4)

 

東今泉フラワー会

 

北小神成花の会(お花見マップ6)

 

田ノ尻花の会(お花見マップ8)

 

柳持花の会(左が佐竹会長)

 

 

下南集落花だん(お花見マップ12)

 

太田南小学校(お花見マップ15)

 

上南地域花だん

 

大町ふれあい花だん

彩りはもちろん、デザインにもこだわりが溢れています。見せ方もプランターの高さを違えたり、新元号「令和」や「レイワ」を花文字で表したりと、趣向を凝らしています。まさしく「魅せる花だん」です。
花だんのデザインの決定、雑草取りや水やりの手入れ、たくさんの想いと手間をかけて咲いた花だからこそ、見る人を魅了するのかもしれません。

昭和39年に東今泉子ども会が村道路肩に水仙を植えたことから始まった太田の花いっぱい運動、昭和・平成・令和と時代を超えて続けられています。これは、行動力そして意欲の継続がなければ成されないものと思います。暑い夏を乗り切って、それぞれの集落・学校の「らしさ」を存分に魅せる花だんを見て、50年以上の歴史ある活動への感謝を改めて感じました。

太田交流の森(大台スキー場)を歩く

大仙市太田地域の大台スキー場は、夏場は散策やキャンプ、ハンググライダーなどのスカイスポーツの基地などアウトドアフィールドの「太田交流の森」として親しまれています。
私は昨年まで、平場の約6キロを50分で歩くことを時々していましたが、人間ドッグで「内臓脂肪が増えてきている」と指摘され、今年は平場のウオーキングではなく、身体に少し負荷がかかる太田交流の森を週末歩いています。
この3連休も、黄金色に実った豊けき太田の風景を眺めながら歩きました。

太田交流の森には、ゲレンデ内に全長1,621メートルのコンクリート舗装された「パノラマロード」が整備されています。ここを登り30分、下り20分、片道約3,000歩で歩くのが私のルーティンですが、この3連休はカメラを持参し、景色や花を見ながら少しゆっくり歩きました。初日は誰とも会いませんでしたが、2日目はパノラマロードを自転車で登る人、カメラマン、走る人、散策する人などに会いました。

スキー場のロッジ付近では、夏の間、思いっきり伸びた草の刈取りが行われていました。まるで「ナスカの地上絵」を見るような美しい作業でした。

パノラマロードは、最初の200メートルほどが一番キツイ登り坂です。ここをクリアすると、あとはつづら折りに比較的ゆるやかな登り坂となります。

大曲から来たという自転車の方は、「この坂道を自転車で登ることができれば、どんな道も自転車で走れると思う」と話していましたが、残念ながら登りきれずに途中から帰ってしまいました。そしたら翌日、「リベンジに来た」と再会しました。

太田の某事業所のホームページに利用する写真と映像の撮影を依頼されて東京から来たカメラマンの方は「いや~、すごい景色ですね!全国いろんなところを回っていますが、こんな眺めは初めて」と仙北平野を見て感動しながら撮影していました。「頂上から眺める景色もきれいですが、1本の梨の木がある中腹から見た仙北平野は、頂上以上に広がりがあっていいですよ」と撮影ポイントを紹介しました。ここには、市が現在行っている「ぐるっと大仙デジタルスタンプラリー2019」のスタンプチェックポイントがあります。

私が往復する途中、走っている方と3回会いました。登山やトレラン(トレイルランニング)が趣味で、トレーニングのためにパノラマロードを走って5往復するとのこと。登りは歩いても息切れがするほど大変ですが、走って5往復とは!

ご婦人の二人組は、今年の春、太田地域に住む同級生と一緒に大台スキー場へ黄桜を見に来たとき、同級生からこのパノラマロードも案内してもらい、水田に水が張られた仙北平野の景色がとてもきれいだったので、また来てみたとのこと、「春も良かったけど、黄金色の仙北平野もまたいいですね。景色を眺めながら、ゆっくり歩いて登ってみます」と話して行きました。

普段は、往復1時間弱の少し早いペースで歩いているので、仙北平野の景色以外にはあまり目を向けることがなかったのですが、ゆっくり歩いてみたら、さまざまな花が咲いていることに気がつきました。

恥ずかしながら、花の名前は一つもわかりませんが、こうして野に咲く花を見れば「二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛をそそいでいこう」「咲くも無心 散るも無心 花は嘆かず今を生きる」という坂村真民のことばを思い起こします。そしてまた、わき目もふらずに歩くばかりではなく、ときどき立ち止まって、まわりを見ることも大事だな、と普段の生活を反省してみたり…。

3日目の下りは、パノラマロードを外れて、スキー場管理人の倉田さんが草刈りをしたゲレンデ内を歩いてみました。
見る角度が違えば、見慣れている景色が新鮮に映りました。普段は梨の木を左に置いて仙北平野を見ていますが、梨の木の背中から見ると、こんな感じです。

今年6月、太田支所で発行した「私の秋田県民歌」に、昭和4年生まれの秋田市の男性から「昭和から平成と新年号となる時、私が現職を退き民間会社に就職して間もなく、太田町から大台スキー場のゲレンデ拡張とアクセス道(現在のパノラマロード)の調査依頼があった。軟弱な粘土質土壌が裸出するゲレンデに苦労しながら山頂に到着し、眼下の仙北平野を展望し、その見事な絶景に感動した。その一瞬、「秀麗無比なる鳥海山よ」と誰からとなく発声し、全員で秋田県民歌を合唱した記憶が今でも鮮明に残っている」と手記を寄せていただきました。
パノラマロードが整備されてから約30年、私は何十回となく登っていますが、何度登っても四季折々に変化する仙北平野の景色は見飽きることがありません。
みなさんも一度、パノラマロードを歩いてみてください。

*パノラマロードは散策路、管理用道路として整備されたもので車道ではありません。
したがって交差するための車寄せ場所などはなく、万が一事故が発生しても市では責任は負いかねます。

中秋の名月

9月13日(金)は十五夜、中秋の名月と呼ばれるお月見の日です。日本人には月を愛でる風習があり、中秋の名月は一年のうちで最も美しい月として鑑賞されてきました。

我が家では、お月見の日は、お団子とともに季節の果物や野菜をお供えするものでした。亡くなった母は、お月見の日にも「豆名月」「栗名月」などという別名があること、「豆名月」には枝豆を、「栗名月」には栗をお供えすることを教えてくれました。
さて、中秋の名月は「豆」なのか「栗」なのか、どっちだったかな、収穫時期的には「豆」かなと調べてみると、なんと「芋名月」だそうです。「芋」もあったのか!と驚きです。中秋の名月には、この時期に収穫されるサツマイモや里芋をお供えするそうです。
お月見の定番はススキとお団子ですが、ススキは稲穂に見立てたもの、お団子は里芋だった時代もあったといいます。

十五夜の前日、9月12日の夜もきれいな月夜でした。私の愛用のコンパクトデジカメでは30倍ズームが限界ですが、それでも月の表面までくっきり写せました。

時おり雲に隠れる月の姿もまた風情があります。

農作業の時期は月の満ち欠けの周期を基にした陰暦で考えることも多く、月は農業に密接に結びついています。秋の満月は、収穫に感謝する意味合いがあったのかもしれません。
農業を基幹産業とするこの大仙市に生まれたからには、収穫への感謝を感じてお月見するのが本望かも知れませんね。
我が家は農家ではありませんが、我が家の伝統を守るべく、教わったお月見のルールは守ろうと思います。本番に備えて、太田産の里芋をしっかり購入しておきました(笑)
「芋名月」、月がきれいに見えるといいですね☆

夏と秋の共存

一気に秋めいてきました。日中は気温が上がりますが、朝晩はグッと冷え込みが強くなってきました。

この季節は、夏の終わりと言うべきか、秋の始まりと言うべきでしょうか?
田んぼは、黄金色と言うには少し早いような気がします。
セミは鳴いていますが、トンボも行き交っています。
言ってみれば「夏と秋が共存する季節」です。
県道角六線沿いでまさしく夏と秋の共存の風景を見つけました。ひまわりとコスモスが一緒に咲いています。

夏が終わらないまま秋が始まっていると思うと、毎年感じる夏への名残惜しさが軽減する気がします。
夏の余韻に浸りながら、実りの秋、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋を迎えましょう♪

手記集「私の秋田県民歌」を発行しました

「大曲の花火」(第93回全国花火競技大会)が間近となりました。
大曲の花火のフィナーレで、10号割物30連発と共に歌われる「秀麗無比なる」で始まる秋田県民歌は、大仙市太田町の倉田政嗣の作詞によるもので、昭和5年10月30日の制定から、間もなく90年となります。

戦前戦中の学校では、校歌とともに行事のたびに歌われた県民歌は、終戦とともにいつしか歌われなくなり、戦後世代が県民歌を歌う機会がなくなりました。
しかし昭和43年、明治100年を記念して作られた「大いなる秋田」の第三楽章「躍進」に組み込まれて奇跡の復活を遂げ、そして現在、盛んに県民歌が歌われています。
復活から50年にあたり「私の秋田県民歌」をテーマにした手記を募集したところ、県内外の65人の方がたから秋田県民歌に対する想いが寄せられました。
また大仙市コミュニティFM「FMはなび」の令和元年記念特別番組として放送された「わがふるさとよ うるわしの故郷(くに)~今明かされる「大いなる秋田」誕生エピソード」の内容も掲載しています。

この手記集「私の秋田県民歌」は、A4判・64ページで読み応えのある冊子となっています。新聞・テレビ等でも取り上げていただいたため、6月の発行以来、太田支所には連日のように来庁があるほか問い合わせの電話や手紙が寄せられています。たくさんの反響に、秋田県民歌への愛着をひしひしと感じる毎日です。県内在住の方だけでなく、遠方で暮らす秋田県出身の方からの問い合わせも多く、遠くは関西からもご連絡をいただきました。

手記集を読んだ方がたから、たくさんの感想が届いております。一部を紹介します。

・手記集「私の秋田県民歌」、一気に読ませていただきました。一つの歌にまつわる人それぞれの思いに深く感動感激いたしました。

・最初のページには横浜市在住の政嗣の孫の手記があり、大変興味深く読ませていただいた。政嗣が39歳の若さでこの世を去ったこと、政嗣の長女である母の思い出、そして政嗣の書斎での写真なども載っており、本当に貴重な一冊となった。そして何よりも驚いたのは、全国から65人の投稿者(大正から平成生まれまで)の人たちの秋田県民歌に寄せる熱い想いである。

・広範囲な年代の方がたそれぞれに、秋田県民歌に熱い気持ちがこめられていて読みごたえがありました。加えて歌詞にまつわることや「大いなる秋田」誕生までの秘話などももれなく掲載されていて、これは秋田県にとって大切な文献であり、編集部の方がたの力量を感じました。私の宝物にします。

・秋田県民は県民歌に心を寄せ、その誕生の経緯を知ることで一層の愛着も生まれ、貴支所発行の「秀麗無比なる」に次ぐ手記編の企画は大ヒットの記録集だと思います。県民歌にまつわる秋田の自慢がもう1冊増えました。

・生まれた土地に今も住んでおられる方、県内にとどまっておられる方、今は他県に在住されている方など、多くの方々の「秋田県民歌」にまつわる想い出や心情をとくと拝読させていただきました。わが県が全国に誇るもの、残念な日本一とされるものなど数々あれど、何にもましてこの歌こそ、わが県最大の誇りに値するでしょう。拝見した手記集「私の秋田県民歌」がそれをよく示しています。

・最後のページで、県民歌が英訳されたことがあるということを知り、驚きでした。ただでさえ難しい英訳を、メロディーに合わせた語数にする歌詞訳は、さぞかし難しかったことと思います。若いころ少しばかり英語をかじりましたので、英訳された先生のご苦労を思うと感動を覚えました。

手記集「私の秋田県民歌」は、大仙市内各図書館で閲覧できるほか、無料で差し上げています。
太田支所市民サービス課窓口で直接受け取るか、郵送を希望される方は250円相当の郵便切手を次まで送ってください。

〒019-1692(この番号だけで太田支所に着きます)
大仙市太田支所「私の秋田県民歌」係 まで
お問い合わせは 0187(88)1111へ

大盛況!太田の夏まつり

8月3日(土)、おおたコミュニティプラザ駐車場を会場に、第9回太田の夏まつりが開催されました。
太田の夏まつりは、まさに「住民の、住民による、住民のための『夏まつり』」です。
実行委員会では、特に次世代を担う子ども達に、祭りの楽しさや雰囲気を体感してもらいたいと考えて祭りの内容を企画しています。地域住民が一堂に会すことで、住民同士の交流による心の温かさ・ふるさとの良さを認識してもらいたい、そして愛郷心を育み地域の文化や資源を再認識する機会としてもらいたいと、夏まつりを開催しています。
お祭りのメインはステージ発表と、数々の出店です。
ステージでは、太田在住のサックス奏者・飯塚雅幸さんや太田分校郷土芸能部、芸術文化協会太田支部、三本扇サイサイ保存会など太田に縁のある出演者が、会場を盛り上げてくださいました。
出店では、商工会女性部や太田町生活リゾート、共通商品券おおた会、太田狂、太田分校GLクラブなど地元からも多数出店され、地産地消が満載でした。
来場者数は約1,000人、お友達同士で、家族連れで賑わう夏まつりの様子を紹介します。

 

熊谷実行委員長による開会宣言

 

太田分校郷土芸能部の歌と踊り

 

JA太田営農センターの枝豆PRイベント

 

桜秀心舞のよさこい踊り

 

芸術文化協会太田支部の舞踏

 

飯塚雅幸さんのサキソフォンコンサート

 

三本扇サイサイ保存会による唄と手踊り

 

橘麗子さんの歌謡ショー

 

会場のみなさんで秋田県民歌を合唱、椿の会の踊りもありました

 

夏花火で締めくくり

閉会宣言の中で、熊谷実行委員長が「会場のみなさん、楽しんでいただけたでしょうか?」と呼びかける場面も、会場からはたくさんの拍手が起こりました。来場者・ステージ上の演者・出店者、それぞれが自分たちの地元の祭りという満足感を充分に感じて過ごした「夏まつり」だったように思います。
私も何度かスタッフとして夏まつりに参加してきましたが、今年の夏まつりは最も地元感を感じた内容だったと感じています。メインゲストが太田在住の飯塚雅幸さんであったこと、分校の郷土芸能部の発表にアンコールがかかったこと、三本扇サイサイ保存会が若い踊り手さんを育成し35年ぶりの演目を発表してくれたことなど、この夏まつりで自分たちの地域を盛り上げようという心意気を感じた気がします。
地元のイベントっていいですよね。
大仙市内はこれからたくさん夏まつりが続きます。たくさんのイベントに参加して、その地域の地元愛を感じてみるのもいいかもしれません。
太田の次の「おまつり」は2月の「火まつり」です。たくさんのご来場をお待ちしています♪