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秋田県大仙市公式ブログ

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太田産あきたこまちが大嘗祭へ

令和元年も12月に入りました。令和元年ならではの喜ばしいニュースをお知らせします。
天皇の代替わりに伴う重要な祭祀(さいし)として、11月14日・15日に大嘗祭(だいじょうさい)が催されました。大嘗祭とは、皇祖である天照大神をもてなし、平和や豊作を祈願する儀式です。天皇は毎年11月に新嘗祭(にいなめさい)を行い、その年の新穀を皇祖はじめ神々に供え、自らも食べて豊作を祈願します。皇位継承後の最初の新嘗祭が、大嘗祭です。毎年行われる新嘗祭と違い、儀式を執り行うために大嘗宮という建物が建てられ、儀式後には取り壊されてしまいます。谷口太田支所長が、10月6日に建設中の大嘗宮を偶然にもカメラにおさめていましたが、この場所で太田の喜ばしいニュースが生まれることは、そのずっと後に知ることになります。

大嘗祭は豊作を祈る儀式であるため、中心儀式となる「大嘗宮の儀」では、全国から特産品が供えられます。これは、「庭積の机代物(にわづみのつくえしろもの)」と呼ばれ、秋田県からは、米・粟・大豆・セリ・リンゴ・マイタケ・ハタハタの7品目が供納されました。そのうち、お米は、なんと太田産のあきたこまちが選ばれました!米どころ秋田県の代表としてお米を供納できるとは、なんとも名誉なことです。
この名誉あるお米の生産者は農業歴50年以上の佐々木信尾さん(上南)です。信尾さんのお米が選ばれたと知った時、「すごい!」の次に私は「やっぱり~、さすが信尾さん」という想いがありました。私だけでなく、信尾さんを知る人にとっては皆が納得できる快挙ではないかなと思います。信尾さんは、JA秋田おばこ主催のおいしいお米コンクールで、5回も入賞しており「おばこの匠」に認定されています。そのうち金賞を受賞したこともある米づくりの名人なのです。

大嘗祭への供納について、信尾さんにお話を伺いました。
信尾さんに第一報が入ったのは、9月6日。全農秋田県本部米穀部参与さんと米穀部販売課の担当者のお二方が見え、信尾さんに供納について打診がありました。宮内庁から8月30日付けで中央会宛てに供納者の推薦依頼が届いたとのこと。それを受けて、信尾さんに白羽の矢がたったというわけです。信尾さんは、第一に驚きと「私でいいの?」という想いがあったそうです。そんな奥ゆかしい人柄もまた、適任だと思われた要素ではないかなと私は思います。信尾さんは、JA秋田おばこが高品質良質米の生産に積極的に取り組み、実証圃となっていることも選ばれた要因の一つではないかと思っているそうです。

推薦を受けることを決め、その後10月1日付けで信尾さんに宮内庁式部職から通知が届き、正式決定を実感したそうです。精米1.5キロを供納する方法としては、郵送・託送・持参の3種類が選べ、信尾さんは持参での供納を即決しました。せっかくの機会だと、家族も持参を後押ししてくれたと言います。
宮内庁への持参は、10月30日午前中でした。全国各地からの供納のため、午前中は悠紀(ゆき)地方(東日本)、午後が主基(すき)地方(西日本)と指定がされたそうです。信尾さんは、奥様と一緒に前日から東京に向かいました。当日は、皇居の坂下門を通り、宮内庁の建物の中へと入ったそうです。赤じゅうたんが敷かれた講堂に入ると、県ごとにテーブルが設置されており、秋田県の席につきます。式部長官がテーブルごとにお声をかけてくださり、信尾さんも「大変だったでしょう」と労いの言葉をかけていただいたそうです。当日供納者がいただいたお菓子の写真や、天皇皇后両陛下がパレードされた同じ通りでご夫妻で撮った写真などをみせてもらい、貴重な体験の裏側まで教えていただきました。貴重で有難い体験を、生の声として聞けるとは、こちらまで有難い気持ちになります。

信尾さんに、美味しいお米を作る秘訣を聞くと、水の管理とチッソ成分の抑制、そして乾燥調製の最後まで気を抜かないこととお話ししてくれました。水田の水管理では、無駄な分けつをなくすため6月下旬には15㎝の水位を保つなど、細かい管理を心がけているそうです。

信尾さんの米作りのモットーは「自然と調和し よりおいしいものを」だそうです。自然と調和し寄り添っているからこそ、自然の力を味方につけて旨味を引き出せているのだと思います。そしてもう一つ気づいたのは「調和」というフレーズは、まさしく信尾さんの人となりを表す言葉ということ。自然とだけでなく、信尾さんは地域とも人とも調和を実践しています。今回の名誉ある大嘗祭への供納も、信尾さんが築きあげた「調和」から引き寄せたものでないかなと感じました。

信尾さんから、「この経験をいかし、これからの心の糧としていきたいと思います。ここまでお導きいただいた関係各位様に感謝を申し上げますとともに、今後ともご指導くださいますようお願い申し上げます」と感謝の言葉がありました。この機会に、ぜひとも皆さんに感謝を伝えたいとのこと。
そして「地域に喜んでもらえたことが、一番うれしい」ともお話ししてくれました。
やっぱり「調和」の人ですね。こんなにうれしいニュースを地域にもたらしてくださった信尾さんのためにも、地域みんなでこの良いニュースを喜び合いましょう!
信尾さん、本当におめでとうございます。太田が元気になるニュースをありがとうございます。取材協力ありがとうございました。

奥羽山脈の霧氷

11月26日、青空が広がり太陽が出ていますが、気温は低くピリッとした冷気が漂っています。
奥羽山脈の稜線がくっきりしていて、今日は山がキレイに撮れる予感がした直後、県立自然公園管理員の倉田陽一さんが自然公園の巡回を終えて、太田支所に立ち寄ってくださいました。
なんともタイミングの良いことです。「いい写真ありますか?」という私の言葉を待っていたかのように、倉田さんは「これ、何だと思う?」と撮った画像を見せてくださいました。

雪でもないし、霜でもないように見えます。考えた末に「樹氷?」「違う。これは、霧氷(むひょう)」と教えてくださいました。今日は奥羽山脈の小鷲倉で霧氷の写真が撮れたとのこと。霧氷は過冷却された霧粒が風で木などに吹き付けられ、その刺激で氷となってついたもので、まるで白い花が咲いたように見えます。
霧氷を撮影できるのは珍しく、朝からキンと冷えていて、さらに霧氷がついた後に風がほとんどないため、お昼近い時間までカメラにおさめることができたと言います。
こまめな巡回をしてくださっている倉田さんでなければ、カメラにおさめることのできない風景ですよね。貴重なショット、倉田さんの許可をいただき、皆さんにもおすそわけです♪

空如作品 東京へ

来年2020年3月13日から5月10日まで、東京国立博物館 本館特別4室・特別5室で特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」が開催されます。これは、東京五輪・パラリンピックにあわせ政府が主催する「日本博」のプロジェクトの一つです。

この展示では法隆寺金堂壁画の模写や修復の歴史をテーマとし、江戸時代から明治・大正・昭和時代にかけての模写とガラス乾板によるコロタイプ印刷版を展示します。
そのなかで、鈴木空如筆の金堂壁画も展示されることとなりました。空如は、明治から昭和にかけて壁画12面を原寸大(大壁約3m×2.5m、小壁タテ3m×1.5m)で3度模写しました。
今回の展示では、東京国立博物館に寄託されている2作目と、大仙市が所蔵する1・3作目の1・6・10号大壁(6点)のほか、下絵8点の計14点等が展示されます。

10月30日・31日には、この大仙市所蔵の14点について、東京国立博物館へ搬出する作業が行われました。
模写図の1作目は昨年11月に箱根の吉池旅館から大仙市に寄贈されました。今回の展示で初めて一般に公開されます。3作目が搬出されるのは、平成26年の東京藝術大学大学美術館での展示以来2回目とのこと。搬出作業は細やかに厳かに行われていました。なかなか見ることのできない一つ一つの作業に、思わず見入ってしまいました。

模写図を慣れた手つきで丁寧に扱うのは、配送業者の担当の方々、文化財運搬には絵画や仏像など専門とする担当の方がいるそうです。丁寧なのに手早く、作業に無駄がありません。

一枚一枚の点検をされているのは、東京国立博物館の学芸研究部保存修復課保存修復室の瀬谷室長です。作品の現状を点検し、太田地域からの搬出前と搬出後、東京での展示後と帰ってきてからと全部で4回も点検をするそうです。

展示の前後や運搬により作品に変化がないことを確かめることはもちろんですが、この点検により、のりの剥離や保管についてのアドバイスもあり、作品の現状を知る貴重なタイミングともなっていました。
点検を一枚一枚行うのは、相当な気遣いと体力が要ります。この日は肌寒い日でしたが、一枚の点検が終わると汗ばむほど。まさにプロフェッショナルの仕事を見た気がしました。

こうして、空如作品は東京へと旅立ちました。
今年の春、太田文化プラザで「鈴木空如筆法隆寺金堂壁画展」が行われた際には、3作目と1作目のレプリカをじっくりと鑑賞することができました。地元太田を離れている方も、来年春には東京国立博物館で太田から搬出された空如作品もご覧になることができます。空如が生涯で模写した3組の金堂壁画が、一つ屋根の下に揃うのは70数年ぶりだそうですよ。国宝・百済観音も東京では23年ぶりにお出ましになるまたとない機会です。ぜひこの機会にご拝観ください。

特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」の公式サイトはこちらから↓
https://horyujikondo2020.jp/

秋田太田ライオンズクラブ 奉仕の秋

 太田地域の真木渓谷、川口渓谷の紅葉は10月下旬に見ごろを迎え、県内外から多くの方が渓谷を訪れ、紅葉を楽しみながらの登山や林道・遊歩道散策を楽しんでいただきました。

 さて、時は少し遡りますが、紅葉シーズンを目前にした10月13日(日)、川口渓谷では秋田太田ライオンズクラブの皆さんによる遊歩道の草刈り作業が行われました。
 この作業は、紅葉探勝に渓谷を訪れる方々が快適に散策できるようにと、ライオンズクラブの地域貢献活動の一環として、昨年度に引き続き実施いただいたものです。
 当日作業をしてくださったのは、藤谷知義会長を始めとする9名のクラブ員の皆さんです。 ちなみにこの日は台風19号の影響により、太田地域では早朝まで強い風雨に見舞われました。直前まで作業を実施できるか不安なところもありましたが、作業開始の9時頃になると天候も落ち着き、無事に決行することができました。

 作業箇所は川口渓谷遊歩道の車両乗り入れ最終地点からオブ山入口への分岐付近まで、約1kmの区間。今年の夏は天気がよく、暑い日も長く続いたため、遊歩道脇には雑草が茂り、一部では藪が遊歩道にせり出している箇所も見られます。
平地での下刈りとはまた違い、斜面に向かっての作業もありますが、草刈り機を巧みに使いながら丁寧に作業が進められました。

 作業を進めることおよそ2時間半、予定していた箇所の作業が終了。

 藤谷知義会長は、作業を振り返って「ここは川口遊歩道の第一印象を決めるともいえる最初の区間ということで、訪れる方々の目線に立ってやることが大切と思って作業をした。ちょっと刈りすぎてしまったかもしれないが、紅葉時期にはたくさんの方々が、快適に散策にしてくれれば嬉しい」と話していました。

 川口渓谷は、真木渓谷と並んで大仙市内有数の紅葉探勝スポットの一つです。
 その魅力を、地元太田の皆さんが認識し、自分たちから率先して奉仕活動を実施してくださることを頼もしく感じたところでした。
 台風一過の秋空の下、心地よい奉仕の汗をかいてくださった皆さん、本当にお疲れ様でした。

太田地域文化講演会

10月21日、太田文化プラザで太田地域文化講演会が開催されました。この講演会は、太田地域自治組織連絡協議会(長澤信徳会長)の主催で、太田地域にゆかりのある方を講師に迎え、ふるさと太田の良さを再認識するとともに、地域住民の教養と文化意識の高揚を目的に毎年開催しているものです。

今年は太田地域の誘致企業である株式会社ローズメイの原田青(せい)社長が「秋田の元気を作る~ローズメイの取り組み~」と題して講演をしてくださいました。

太田地域自治組織連絡協議会の長澤会長から開会にあたり、「ローズメイは太田の地に会社をおかれ地域の発展のために尽力されている。外から見た目と、住んでいる人の目では、私たちの気づかない部分があると思う。講演を聞いて、今日参加される特に中学生の皆さんには、刺激を受けてもらいたい」と挨拶がありました。

 

ローズメイは、昭和30年に前身となる双洋物産株式会社として原田社長の祖父が創業されました。「創業64年、みつばち商品44年」の歴史ある会社です。原田社長は2013年、35歳の若さで3代目社長に就任されました。太田町北開にある秋田工場は2004年6月に操業開始し、ローズメイ商品の製造から出荷までを秋田工場で行っています。
ローズメイは、大人気商品「オレンジスライスジャム」や、角館駅前にできた直営店、そしてその経営手腕をふるう若き原田社長が注目を集め、テレビや新聞・雑誌などにもたびたび取り上げられています。今回の講演会は、まさに「秋田の元気を作っている」方のお話が聞けるとあり、約200名の来場者がありました。

 

講演では、まずはローズメイの会社の紹介がありました。ローズメイの経営理念のコンセプトは「お福分け」だそうです。薔薇やみつばちといった、自然の恵みをたっぷりとうけた原料を使用した商品を作り提供し、お客様にその恵みを受け取り健康で幸せな人生を歩んでもらいたいとの想いから「お福分け」を掲げているそうです。安心でおいしい商品の中に、そんな優しい気持ちも加味されているとは驚きでした。
経営としては、2011年3月11日の東日本大震災がターニングポイントとなったそうです。停電による原料の廃棄、風評被害による定期購入の解約急増などで売り上げが激減しました。そんな中でも、従業員の雇用は守り、一緒に売り上げ増を目指しがんばったといいます。その経験から「秋田の元気を一緒に作りたい」と考えるようになったそうです。栗駒フーズさんや秋田魁新報社さんなどと新たなつながりが生まれ、47(よんなな)クラブ(全国の新聞社が厳選した逸品を集めたお取り寄せサイト)に参加し、オレンジスライスジャムの大ヒットに結びつきました。その後はクラウドファンディングによる角館のファクトリーショップのオープン、バラ摘み体験をコンテンツ化した観光客の取り込みなど、まさに秋田の元気を作り出しています。

 

講演の参加者に中学生が多かったことから、自らの子ども時代のこともお話ししてくれました。子どもの頃は冬休みは太田に滞在していることが多かったそうです。大台スキー場でスキーを覚えたこと、近所のお兄さんと「近くのラーメン屋」と言われ大曲までラーメンを食べに行ったエピソードなどをお話ししてくださいました。中学生の皆さんに、今の現状に満足していない人も未来には楽しいことが待っている、今いる世界が全てではなくこれから広い世界が待っている、「自分なんてどうせ」と思っているとそんな自分になってしまう、自分の可能性は自分が一番信じてほしいと語りかけました。夢や目標は「自分で決めること」、そして「夢を使命感に変えてほしい」とも強調します。自分の中から湧き出た夢や目標、その先に「社会に応える使命感」を考えてすすんでもらいたいと訴えました。

最後に「ハチドリのひとしずく」というお話を紹介してくださいました。森の木に雷が落ちて山火事が発生し動物たちが逃げ出しました。そんな中、小さなハチドリだけは山に残り、くちばしに水をためては燃え盛る火に向かってに水をポトリを落とし続けました。動物たちにどうしてそんなことをするのか聞かれたハチドリが「私は私にできることしているの」と答えたというお話です。誰かがやってくれると思っていると誰もやってくれない、自分が自分の置かれた立場でできることをできるだけやることが大事だとお話しされました。

講演後には中学生から、地方で同じような取り組みをしているところは他にありますか?といった質問や、太田にもお店をつくってもらえませんかという提案までありました。原田社長のお人柄やお話の内容から、中学生にも大人にもわかりやすく親しみやすい講演となりました。

 

講演会の最後には会場全員で秋田県民歌の斉唱がありました。ピアノの生演奏とあかまつコーラスグループの先導により、今年は1番から4番までフルコーラスで歌いました。

原田社長、この度は貴重な講演をありがとうございました。
これからも、秋田のそして太田の元気を作る先導役となって、ますますご活躍されることを願っています。
参加いただきました皆さん、ありがとうございました。これからも、地元でがんばるローズメイへの感謝と応援をともにしていきましょう!

太田のリンゴで元気になぁれ

10月15日、太田町横沢にある農業振興情報センターで、おおたわんぱくランドの年長さんがリンゴ狩りを行いました。
同センターでは、収穫体験を通して子ども達に農業に興味を持ってもらいたいと、毎年ほ場でのリンゴ狩りを実施しています。

10:00頃、ほ場内のリンゴ畑に、わんぱくランドの年長さん27人と先生方、農業振興情報センターの所長・先生・研修生が集まりました。
最初に、センターの木村一虎先生からリンゴについて説明がありました。

今回、もぎ取りしたのは「千秋(せんしゅう)」という品種です。
リンゴは明治の頃、アメリカからきたフルーツだそうです。リンゴが赤くなると医者が青くなると言われるほど体によく、1日1個食べるととても健康にいいと教えてくださいました。「千秋(せんしゅう)」は、「ふじ」を片親にもつ秋田県でつくられた品種で、「ふじ」より半月ほど早く収穫される種類とのこと。5月に花が咲いて、ちょうど今頃が収穫期だそうです。なんと今回は、子ども達の来訪を待っていたかのように、季節外れにリンゴの花が咲いていました。

実をもぎ取るタイミングで、花を手に取ってみられるなんて、年長さん達はもちろん、私もずいぶん強運だとうぬぼれてしまいます。リンゴの木の一本には、100個以上、多いと200個ほど実がなるそうです。

 

説明をよく聞いてから、早速もぎ取り体験が始まります。もぎ取るリンゴは1人1個、赤色が鮮やかで大きいリンゴがおいしいよとアドバイスがありました。
どのリンゴにするか、みんな真剣に選びます。

高いところは研修生の方が抱っこしてくれます。

もぎ取ったリンゴを愛おしそうにみる子ども達が、またかわいい♪

「リンゴは一番好きなフルーツ」とお話ししてくれた女の子もいました。

 

リンゴをもぎ取ったあとは、ビニールハウスに移動して、シャインマスカットの試食がありました。ほ場で収穫された大粒のシャインマスカットを一人に2粒ずつ準備してくれていました。

農業振興情報センターのシャインマスカットは粒が大きい!そして甘いんです。シャインマスカットは高級フルーツですが、園児たちに「食べたことある?」と聞くと、多くの子ども達が「ある!」と答えます。さすが農業のまちの子ども達です。

 

 

リンゴのもぎ取り方を学んで、シャインマスカットの美味しさを堪能して、園児たちは乗ってきたバスへと戻ります。センター敷地内の通路を歩きながら、野菜の説明を受けます。「こっち側からキャベツ、白菜、ブロッコリー、カリフラワー・・・」所長が説明をしてくれます。

畑の土の上にある野菜は、子ども達の目にどのように映ったのか、この施設がどんなところか感じ取ってくれていればいいなと、カメラごしに願います。

 

 

農業振興情報センターでは、土の上にいるせいか、気分が晴れ晴れします。リンゴは体にいい元気の素、そしてリンゴ狩りの様子を見ることもまた、体と心にいい!そんなことを感じたひとときでした。

太田東小学校 キャリア講話

10月1日、太田東小学校(菅原潔校長・児童数106人)で、5・6年生を対象としたキャリア講話が行われました。この講話は、東小学校の生き方教育の一つとして実施されたもので、青少年育成大仙市民会議太田地域の協力を得て行われました。
講師を務めたのは、太田地域の北開工業団地にある小松ばね工業株式会社の会長・小松節子さんです。通称「小松ばね」の秋田太田町工場は、誘致企業として、1989年(平成元年)に太田での操業を開始しました。小松会長は、その当時の社長さんです。

「小松ばね」は1941年(昭和16年)、東京都大田区の町工場がたくさんある地区に、小松会長のお父さんが個人企業として創業されました。現在は大田区に本社/第一工場・第二工場・第三工場があるほか、宮城県に大河原工場が、そしてインドネシアにも子会社があります。
2005年(平成17年)の、NHKの朝の連続テレビ小説「ファイト」は、ばね工場を舞台としたドラマでしたが、工場の仕事場のシーンは「小松ばね」の工場で撮影が行われたこともあります。小松会長は、ドラマ制作の裏方として、ドラマ内の小道具や歴史考証にもアドバイスをされました。
また、2017年(平成29年)には、中小企業振興功労として叙勲「旭日単光章」を受賞されています。
小松会長は、普段は東京都大田区にお住いですが、この日は太田地域でのこの講話のために、当日日帰りで、太田を来訪してくださいました。
貴重な機会ですので、ぜひ小松会長のお話を聞きたいと思って、5・6年生と一緒に講話を拝聴してきました。

小松会長は、社長として32年間務められました。子どもの頃は、ばね会社の社長になるとは思ってもいなかったそうです。踊ることが好きでバレエをされていたとのこと、好きなことを続けるために、踊りに耐えられる体をつくろうと、練習を繰り返し筋肉を鍛えたといいます。舞台で踊ることは、観る人に評価されることであるので、さらに練習を繰り返すことを続けたそうです。バレエの先生をした経験があり、子ども達にも指導をされていました。つらくても続けることを厳しく指導されたそうです。バレエの衣装も自分で作りたいと思い、洋裁も習ったそうです。
お子さんは、1つ違いでお二人。年子のため二人同時に育てなければなりませんでしたが、バレエで培った体力と忍耐力で子育てもつらいと思わず乗り切ったそうです。
穏やかで上品な小松会長、バレエの経験が小松会長の心身の芯の強さと、品の良さの原点であることがわかりました。

会社に勤めた経験がなかった小松会長ですが、社長になって欲しいと言われ、社長になるためにたくさん勉強したといいます。聞いたこと学んだことを実践して勉強したそうです。15年、セミナーに通い続け、何度も同じセミナーを聞いたこともあるそうですが、時代や自分の能力が変わってくると、同じ話を聞いてもまた新しい学びがあるといいます。「勉強は死ぬまで必要」、「学んだことを深く追求していくことの大事さ」を強調してお話ししてくださいました。
バレエで鍛えた声を武器に、従業員の方にも大きな声で話して伝えてきたこともよかった、さらに、バレエの先生として教えてきた経験が、この人にはどんな仕事が向いているか人材の活用に活かせたそうです。
自らも学び、従業員の方々を引っ張っていくことは大変なご苦労だったことと思います。専業主婦から社長になられたとは知っていましたが、小松会長が経験された全ての経験が、社長として活躍されることに活きていることがわかりました。

小松会長が、なぜ太田に工場の誘致を決めたかというと、太田の風景に心ひかれたからだとお話ししてくださいました。どこからでも山が見えること、きれいな水が流れていること、田んぼの景色が季節ごとに変わることに感動を覚えたそうです。春・田んぼに水がはられ、そこに映る景色、夏・風に揺れる緑の稲穂、秋・黄金色の稲穂が揺れる様子、冬・一面全てが真っ白な雪に覆われる景色、それぞれが素晴らしい景色だとお話しされました。太田で従業員を募集し、東京に技術を学びに行ったり、逆に東京の従業員が太田に来て技術指導をしたこともあり、東京の従業員の方々もここの景色に感動したと言います。
私たちの周りにいつもある風景を褒めていただくことは、嬉しい限りです。小松会長の太田への愛着を感じました。

講演の最後には、「学校で学んでいる勉強の中から、大好きなスポーツの中からでも自分で出来ることを見つけテーマとして誰にも負けないくらいやり続ける事が大切です。好きな事なので、興味もわき深く学びたくなるでしょう。やり通すことの中から自分がどう生きたいか、どんな人間になりたいかを見つけることが出来ると思います。人はそれぞれの個性を持っています。それを尊重し、理解し、受け止めていく事の出来る人になっていく事が基本と思います。大勢の人の中でお互いを知り、仲良く付き合う事は人生の中で大切な事です。沢山の事を学び忍耐力を持って『人を思いやる心』で過ごしてください」と、お話されました。

その後、子ども達から小松会長に質問コーナーが設けられました。

Q. つらかったことは何ですか?
A.従業員が、一生懸命学んだけど、諦めて辞めてしまった時はつらいですね。

Q.一番売れた時期はいつですか?
A.携帯電話が売れ始めた時に、売り上げが増えました。二つ折りタイプの携帯電話の、ヒンジとSDカードの差込にばねが使われていました。あと、ドットプリンタの印字をするピンにもばねが使用され、国内でたくさんつくりました。その後海外でつくるようになりました。

Q.一日でばねは何個できますか?
A.年間で10億個ですね。一日となると、計算してみてください。発展させて考えることが大事ですよ。

Q.これからがんばりたいことは何ですか?
A. 日本は製造業の「ものづくり」より、今はサービス業・観光業が主流となっていますが、「ものづくり」の技術を延々と残してもらいたいと思います。そんな世の中になるようがんばりたいですね。

講演後、東小の代表から小松会長に花束が手渡されました。

6年生と記念写真

 

5年生と記念写真

小松会長の講話を聞き、私も「死ぬまで勉強」を心がけたいなと改めて感じました。講話を聞いたことも、勉強のひとつになりました。今回5・6年生というまだまだ未来のある子ども達がこのお話を聞けたのは、羨ましいことです。小松会長がお話しされたように、深く追求して広く学んでもらいたいと思います。
また、小松会長が太田へ想いを寄せてくださった分、太田に住む私たちも「小松ばね」を応援していきたいですよね。精密ばねを得意とする「小松ばね」、カメラやスマホにもばねは使われているそうです。製造業への感謝と、「ものづくり」への関心を常に持っていたいなと思います。

小松会長、これからも太田とのご縁を深く太く、おつきあいのほどよろしくおねがいします。貴重なお話しをありがとうございました。

太田の「◯◯の秋」

皆さんにとって、秋と言えば?
読書、芸術、スポーツ、実り、「◯◯の秋」の楽しみ方は様々ですよね。
私は断然、食欲の秋です。収穫されたサツマイモで大学イモやスイートポテト、里芋でいものこ汁、食べたいばかりに料理もはりきっています。今は新米が楽しみです。

太田の子ども達の秋ならではの活動から、「◯◯の秋」を紹介します。

まずは「文化の秋」
9月25日、太田北小学校の囲碁教室にお邪魔してきました。
大仙市では子ども囲碁普及事業の一環として放課後囲碁教室を実施しています。これは、囲碁を学んでみたいという児童がいる小学校に、囲碁をされる地元ボランティアの方が出向き、囲碁の手ほどきをするものです。月に2回ほどの頻度で、放課後に1時間程度、実施されています。北小では、3年生の男子児童が二人、囲碁を学んでいました。指導役は、国見出身で美郷町在住、太田北小学校の校長も務められた高橋先生です。

3年生の渡辺さんと鈴木さんは、囲碁教室は3回目、この日は「ゲタ」と「オイオトシ」について教わっていました。高橋先生がパターンを示し、「この場合、何とする?」と何通りも打ち方を考えさせます。ヒントを出しながら、「んだ」と「違う」を繰り返して戦略を学びます。私にはさっぱりわかりませんでしたが、次を見越して考える鍛錬になるかもしれないなと、囲碁への興味がわきました。

 

続いて「スポーツの秋」
9月26日、太田南小学校のマラソン大会を見せてもらいました。
1・2年生は700メートル、3・4年生は900メートル、5・6年生は1,300メートルの距離を走ります。この日は、スポーツ日和の秋晴れでしたが、走るとなると暑いくらいの日でした。
スタート時は、走りながらも周りの友達が気になるようでしたが、レースも中盤となると順位うんぬんより自身との戦いとなります。息が上がって苦しそうな表情にもかかわらず、ゴールが近づくとスパートをかけます。練習よりも1秒でも早い記録を残そうという気持ちが見て取れました。応援に駆け付けた家族や、他学年の子ども達の声援を受けて、ゴールを目指す真摯な姿にキュンとしてしまいました。

 

そして「実りの秋」
9月27日、太田東小学校の稲刈りにお邪魔してきました。
連日の晴天で稲刈り日和。青空、黄金色の稲穂、ブルーの体操服が眩しい稲刈り風景でした。

東小の学校田「なかよし田んぼ」では、一枚の田んぼを区切って、うるち米ともち米を作付していました。刈り取った稲穂は、一定量に束ねられ、はさがけ(天日干し)します。うるち米ともち米とが混ざらないように、はさがけの場所も分けられていました。鎌を使って稲穂を刈り取る担当、稲穂を揃えて束ねる担当、稲穂を運ぶ担当、はさがけする担当がいて、流れるように作業が進みます。作業を見ていると、お手伝いしてくださっているお家の方や地域の方の協力体制が素晴らしい!たくさんの指導役がいるおかげで、安全に順調に進んでいました。今回刈り取ったもち米は、11月の収穫祭でお餅にして食べるそうです。実りを体でそしてお腹で感じられるのは羨ましい限りです。

太田の各学校に足を運ぶ時、よく感じるのは、子ども達が地域で大事にされていることです。
秋らしい活動にも、地域の協力や応援がありました。地域の方々からは、この地域の良さを子ども達に伝えたいという想いが滲み出ています。
◯◯の秋、私も食べてばかりいないで、子どもと一緒に地域に出ていって大仙ならではの秋を楽しんでみようかなと、心を入れ替えています。
大仙市ではこの後、秋のイベントが目白押しです。スポーツ大会、芸術発表会、花火秋の章、稔りフェア、ジャンボうさぎフェスティバル、どれもこの地域ならではの秋です。
◯◯の秋を、ぜひ地元で堪能しましょう!

魅せる おおたの花だん

8月24日から9月1日を会期に「おおた花だんフェア」が開催されました。今年の夏は猛暑日が多く、雨が少なかったため、花にもツライ夏だったように思います。
8月中旬、太田地域を回っていても、例年より花の咲きが足りないなと思うことがありましたが、さすが花のまち太田です。気象状況が良くない中でも、「花だんフェア」では訪れる方の目を楽しませる花だんが並びました。今年の花だんの開花ピークは、9月の上旬頃だったようです。そんな中、9月12日には、秋田県花いっぱいの会の佐竹睦子会長が太田地域に来訪、全県花だんコンクールの実地審査を行っていました。
太田地域の花だんをお花見マップをもとに、ぐるっと!紹介します。

 

太田中学校(お花見マップ1)

 

南小神成花の会(お花見マップ4)

 

東今泉フラワー会

 

北小神成花の会(お花見マップ6)

 

田ノ尻花の会(お花見マップ8)

 

柳持花の会(左が佐竹会長)

 

 

下南集落花だん(お花見マップ12)

 

太田南小学校(お花見マップ15)

 

上南地域花だん

 

大町ふれあい花だん

彩りはもちろん、デザインにもこだわりが溢れています。見せ方もプランターの高さを違えたり、新元号「令和」や「レイワ」を花文字で表したりと、趣向を凝らしています。まさしく「魅せる花だん」です。
花だんのデザインの決定、雑草取りや水やりの手入れ、たくさんの想いと手間をかけて咲いた花だからこそ、見る人を魅了するのかもしれません。

昭和39年に東今泉子ども会が村道路肩に水仙を植えたことから始まった太田の花いっぱい運動、昭和・平成・令和と時代を超えて続けられています。これは、行動力そして意欲の継続がなければ成されないものと思います。暑い夏を乗り切って、それぞれの集落・学校の「らしさ」を存分に魅せる花だんを見て、50年以上の歴史ある活動への感謝を改めて感じました。

太田交流の森(大台スキー場)を歩く

大仙市太田地域の大台スキー場は、夏場は散策やキャンプ、ハンググライダーなどのスカイスポーツの基地などアウトドアフィールドの「太田交流の森」として親しまれています。
私は昨年まで、平場の約6キロを50分で歩くことを時々していましたが、人間ドッグで「内臓脂肪が増えてきている」と指摘され、今年は平場のウオーキングではなく、身体に少し負荷がかかる太田交流の森を週末歩いています。
この3連休も、黄金色に実った豊けき太田の風景を眺めながら歩きました。

太田交流の森には、ゲレンデ内に全長1,621メートルのコンクリート舗装された「パノラマロード」が整備されています。ここを登り30分、下り20分、片道約3,000歩で歩くのが私のルーティンですが、この3連休はカメラを持参し、景色や花を見ながら少しゆっくり歩きました。初日は誰とも会いませんでしたが、2日目はパノラマロードを自転車で登る人、カメラマン、走る人、散策する人などに会いました。

スキー場のロッジ付近では、夏の間、思いっきり伸びた草の刈取りが行われていました。まるで「ナスカの地上絵」を見るような美しい作業でした。

パノラマロードは、最初の200メートルほどが一番キツイ登り坂です。ここをクリアすると、あとはつづら折りに比較的ゆるやかな登り坂となります。

大曲から来たという自転車の方は、「この坂道を自転車で登ることができれば、どんな道も自転車で走れると思う」と話していましたが、残念ながら登りきれずに途中から帰ってしまいました。そしたら翌日、「リベンジに来た」と再会しました。

太田の某事業所のホームページに利用する写真と映像の撮影を依頼されて東京から来たカメラマンの方は「いや~、すごい景色ですね!全国いろんなところを回っていますが、こんな眺めは初めて」と仙北平野を見て感動しながら撮影していました。「頂上から眺める景色もきれいですが、1本の梨の木がある中腹から見た仙北平野は、頂上以上に広がりがあっていいですよ」と撮影ポイントを紹介しました。ここには、市が現在行っている「ぐるっと大仙デジタルスタンプラリー2019」のスタンプチェックポイントがあります。

私が往復する途中、走っている方と3回会いました。登山やトレラン(トレイルランニング)が趣味で、トレーニングのためにパノラマロードを走って5往復するとのこと。登りは歩いても息切れがするほど大変ですが、走って5往復とは!

ご婦人の二人組は、今年の春、太田地域に住む同級生と一緒に大台スキー場へ黄桜を見に来たとき、同級生からこのパノラマロードも案内してもらい、水田に水が張られた仙北平野の景色がとてもきれいだったので、また来てみたとのこと、「春も良かったけど、黄金色の仙北平野もまたいいですね。景色を眺めながら、ゆっくり歩いて登ってみます」と話して行きました。

普段は、往復1時間弱の少し早いペースで歩いているので、仙北平野の景色以外にはあまり目を向けることがなかったのですが、ゆっくり歩いてみたら、さまざまな花が咲いていることに気がつきました。

恥ずかしながら、花の名前は一つもわかりませんが、こうして野に咲く花を見れば「二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛をそそいでいこう」「咲くも無心 散るも無心 花は嘆かず今を生きる」という坂村真民のことばを思い起こします。そしてまた、わき目もふらずに歩くばかりではなく、ときどき立ち止まって、まわりを見ることも大事だな、と普段の生活を反省してみたり…。

3日目の下りは、パノラマロードを外れて、スキー場管理人の倉田さんが草刈りをしたゲレンデ内を歩いてみました。
見る角度が違えば、見慣れている景色が新鮮に映りました。普段は梨の木を左に置いて仙北平野を見ていますが、梨の木の背中から見ると、こんな感じです。

今年6月、太田支所で発行した「私の秋田県民歌」に、昭和4年生まれの秋田市の男性から「昭和から平成と新年号となる時、私が現職を退き民間会社に就職して間もなく、太田町から大台スキー場のゲレンデ拡張とアクセス道(現在のパノラマロード)の調査依頼があった。軟弱な粘土質土壌が裸出するゲレンデに苦労しながら山頂に到着し、眼下の仙北平野を展望し、その見事な絶景に感動した。その一瞬、「秀麗無比なる鳥海山よ」と誰からとなく発声し、全員で秋田県民歌を合唱した記憶が今でも鮮明に残っている」と手記を寄せていただきました。
パノラマロードが整備されてから約30年、私は何十回となく登っていますが、何度登っても四季折々に変化する仙北平野の景色は見飽きることがありません。
みなさんも一度、パノラマロードを歩いてみてください。

*パノラマロードは散策路、管理用道路として整備されたもので車道ではありません。
したがって交差するための車寄せ場所などはなく、万が一事故が発生しても市では責任は負いかねます。

中秋の名月

9月13日(金)は十五夜、中秋の名月と呼ばれるお月見の日です。日本人には月を愛でる風習があり、中秋の名月は一年のうちで最も美しい月として鑑賞されてきました。

我が家では、お月見の日は、お団子とともに季節の果物や野菜をお供えするものでした。亡くなった母は、お月見の日にも「豆名月」「栗名月」などという別名があること、「豆名月」には枝豆を、「栗名月」には栗をお供えすることを教えてくれました。
さて、中秋の名月は「豆」なのか「栗」なのか、どっちだったかな、収穫時期的には「豆」かなと調べてみると、なんと「芋名月」だそうです。「芋」もあったのか!と驚きです。中秋の名月には、この時期に収穫されるサツマイモや里芋をお供えするそうです。
お月見の定番はススキとお団子ですが、ススキは稲穂に見立てたもの、お団子は里芋だった時代もあったといいます。

十五夜の前日、9月12日の夜もきれいな月夜でした。私の愛用のコンパクトデジカメでは30倍ズームが限界ですが、それでも月の表面までくっきり写せました。

時おり雲に隠れる月の姿もまた風情があります。

農作業の時期は月の満ち欠けの周期を基にした陰暦で考えることも多く、月は農業に密接に結びついています。秋の満月は、収穫に感謝する意味合いがあったのかもしれません。
農業を基幹産業とするこの大仙市に生まれたからには、収穫への感謝を感じてお月見するのが本望かも知れませんね。
我が家は農家ではありませんが、我が家の伝統を守るべく、教わったお月見のルールは守ろうと思います。本番に備えて、太田産の里芋をしっかり購入しておきました(笑)
「芋名月」、月がきれいに見えるといいですね☆

夏と秋の共存

一気に秋めいてきました。日中は気温が上がりますが、朝晩はグッと冷え込みが強くなってきました。

この季節は、夏の終わりと言うべきか、秋の始まりと言うべきでしょうか?
田んぼは、黄金色と言うには少し早いような気がします。
セミは鳴いていますが、トンボも行き交っています。
言ってみれば「夏と秋が共存する季節」です。
県道角六線沿いでまさしく夏と秋の共存の風景を見つけました。ひまわりとコスモスが一緒に咲いています。

夏が終わらないまま秋が始まっていると思うと、毎年感じる夏への名残惜しさが軽減する気がします。
夏の余韻に浸りながら、実りの秋、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋を迎えましょう♪

手記集「私の秋田県民歌」を発行しました

「大曲の花火」(第93回全国花火競技大会)が間近となりました。
大曲の花火のフィナーレで、10号割物30連発と共に歌われる「秀麗無比なる」で始まる秋田県民歌は、大仙市太田町の倉田政嗣の作詞によるもので、昭和5年10月30日の制定から、間もなく90年となります。

戦前戦中の学校では、校歌とともに行事のたびに歌われた県民歌は、終戦とともにいつしか歌われなくなり、戦後世代が県民歌を歌う機会がなくなりました。
しかし昭和43年、明治100年を記念して作られた「大いなる秋田」の第三楽章「躍進」に組み込まれて奇跡の復活を遂げ、そして現在、盛んに県民歌が歌われています。
復活から50年にあたり「私の秋田県民歌」をテーマにした手記を募集したところ、県内外の65人の方がたから秋田県民歌に対する想いが寄せられました。
また大仙市コミュニティFM「FMはなび」の令和元年記念特別番組として放送された「わがふるさとよ うるわしの故郷(くに)~今明かされる「大いなる秋田」誕生エピソード」の内容も掲載しています。

この手記集「私の秋田県民歌」は、A4判・64ページで読み応えのある冊子となっています。新聞・テレビ等でも取り上げていただいたため、6月の発行以来、太田支所には連日のように来庁があるほか問い合わせの電話や手紙が寄せられています。たくさんの反響に、秋田県民歌への愛着をひしひしと感じる毎日です。県内在住の方だけでなく、遠方で暮らす秋田県出身の方からの問い合わせも多く、遠くは関西からもご連絡をいただきました。

手記集を読んだ方がたから、たくさんの感想が届いております。一部を紹介します。

・手記集「私の秋田県民歌」、一気に読ませていただきました。一つの歌にまつわる人それぞれの思いに深く感動感激いたしました。

・最初のページには横浜市在住の政嗣の孫の手記があり、大変興味深く読ませていただいた。政嗣が39歳の若さでこの世を去ったこと、政嗣の長女である母の思い出、そして政嗣の書斎での写真なども載っており、本当に貴重な一冊となった。そして何よりも驚いたのは、全国から65人の投稿者(大正から平成生まれまで)の人たちの秋田県民歌に寄せる熱い想いである。

・広範囲な年代の方がたそれぞれに、秋田県民歌に熱い気持ちがこめられていて読みごたえがありました。加えて歌詞にまつわることや「大いなる秋田」誕生までの秘話などももれなく掲載されていて、これは秋田県にとって大切な文献であり、編集部の方がたの力量を感じました。私の宝物にします。

・秋田県民は県民歌に心を寄せ、その誕生の経緯を知ることで一層の愛着も生まれ、貴支所発行の「秀麗無比なる」に次ぐ手記編の企画は大ヒットの記録集だと思います。県民歌にまつわる秋田の自慢がもう1冊増えました。

・生まれた土地に今も住んでおられる方、県内にとどまっておられる方、今は他県に在住されている方など、多くの方々の「秋田県民歌」にまつわる想い出や心情をとくと拝読させていただきました。わが県が全国に誇るもの、残念な日本一とされるものなど数々あれど、何にもましてこの歌こそ、わが県最大の誇りに値するでしょう。拝見した手記集「私の秋田県民歌」がそれをよく示しています。

・最後のページで、県民歌が英訳されたことがあるということを知り、驚きでした。ただでさえ難しい英訳を、メロディーに合わせた語数にする歌詞訳は、さぞかし難しかったことと思います。若いころ少しばかり英語をかじりましたので、英訳された先生のご苦労を思うと感動を覚えました。

手記集「私の秋田県民歌」は、大仙市内各図書館で閲覧できるほか、無料で差し上げています。
太田支所市民サービス課窓口で直接受け取るか、郵送を希望される方は250円相当の郵便切手を次まで送ってください。

〒019-1692(この番号だけで太田支所に着きます)
大仙市太田支所「私の秋田県民歌」係 まで
お問い合わせは 0187(88)1111へ

大盛況!太田の夏まつり

8月3日(土)、おおたコミュニティプラザ駐車場を会場に、第9回太田の夏まつりが開催されました。
太田の夏まつりは、まさに「住民の、住民による、住民のための『夏まつり』」です。
実行委員会では、特に次世代を担う子ども達に、祭りの楽しさや雰囲気を体感してもらいたいと考えて祭りの内容を企画しています。地域住民が一堂に会すことで、住民同士の交流による心の温かさ・ふるさとの良さを認識してもらいたい、そして愛郷心を育み地域の文化や資源を再認識する機会としてもらいたいと、夏まつりを開催しています。
お祭りのメインはステージ発表と、数々の出店です。
ステージでは、太田在住のサックス奏者・飯塚雅幸さんや太田分校郷土芸能部、芸術文化協会太田支部、三本扇サイサイ保存会など太田に縁のある出演者が、会場を盛り上げてくださいました。
出店では、商工会女性部や太田町生活リゾート、共通商品券おおた会、太田狂、太田分校GLクラブなど地元からも多数出店され、地産地消が満載でした。
来場者数は約1,000人、お友達同士で、家族連れで賑わう夏まつりの様子を紹介します。

 

熊谷実行委員長による開会宣言

 

太田分校郷土芸能部の歌と踊り

 

JA太田営農センターの枝豆PRイベント

 

桜秀心舞のよさこい踊り

 

芸術文化協会太田支部の舞踏

 

飯塚雅幸さんのサキソフォンコンサート

 

三本扇サイサイ保存会による唄と手踊り

 

橘麗子さんの歌謡ショー

 

会場のみなさんで秋田県民歌を合唱、椿の会の踊りもありました

 

夏花火で締めくくり

閉会宣言の中で、熊谷実行委員長が「会場のみなさん、楽しんでいただけたでしょうか?」と呼びかける場面も、会場からはたくさんの拍手が起こりました。来場者・ステージ上の演者・出店者、それぞれが自分たちの地元の祭りという満足感を充分に感じて過ごした「夏まつり」だったように思います。
私も何度かスタッフとして夏まつりに参加してきましたが、今年の夏まつりは最も地元感を感じた内容だったと感じています。メインゲストが太田在住の飯塚雅幸さんであったこと、分校の郷土芸能部の発表にアンコールがかかったこと、三本扇サイサイ保存会が若い踊り手さんを育成し35年ぶりの演目を発表してくれたことなど、この夏まつりで自分たちの地域を盛り上げようという心意気を感じた気がします。
地元のイベントっていいですよね。
大仙市内はこれからたくさん夏まつりが続きます。たくさんのイベントに参加して、その地域の地元愛を感じてみるのもいいかもしれません。
太田の次の「おまつり」は2月の「火まつり」です。たくさんのご来場をお待ちしています♪

花のまち太田!!

インターンシップの活動中の大曲高校2年鈴木信子です。太田支所の業務の一環としてブログの掲載を体験させていただいたことを紹介します!

毎年太田中学校前庭で開かれる「太田花だんフェア」が、今年は8月24日(土)から9月1日(日)まで開催されます。24日・25日には町内花だん巡り、25日は11時半から地元小中学生による演奏会が催される予定です。ぜひ、太田中学校前庭に足を運んでください。
また、今日は太田町内にある綺麗なお花が咲いている花だん巡りをしました。今回訪れたのは花の駅の3か所です!

1か所目は南小神成でした。残念ながら、見ごろはもう少し先のようで、つぼみの花が多く目立ちました。花だんの正面にはおおた児童クラブがあり、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえました。そんな子ども達のように花も暑さに負けず元気に育ってほしいですね。

 

 

2か所目は田ノ尻です。田ノ尻地区の花だんは一番大きいような気がしました。ここもやはり、ベゴニアの咲き具合はまだらです。しかし、マリーゴールドは空に向かって元気に咲いています!! ベゴニアもマリーゴールドに負けずに頑張れ! 頑張れ!

 

3か所目は北小神成に行って来ました。花の駅に共通して「天に星 地に花 人に愛」と書かれた看板が設置されていました。確かに太田は言葉の通りの街だと思いました。天を仰げばあまたの星が輝いており、地に目を落とせば、至る所に花が咲き乱れています。また、近所のおばあちゃんが野菜をくれたり、帰宅途中に見かければ「おかえり」と笑顔で声をかけてくれたりと愛にあふれた温かい人がたくさんすんでいます。まさに太田にピッタリな言葉ですね!

太田花だんフェアに関わるのは中学校以来でした。高校生という年齢になって気が付いたことがいくつかありました。
まず1つ目は、地域花だんが太田以外の他の地域であまり見かけないことです。高校は町外の学校に通い始めてもう1年半が経とうとしていますが、太田ぐらい規模の大きい花だんは見たことありません。これも太田町ならではなのかな? と思います。
2つ目は、地域や団体だけではなく個人で花を育てている家庭が多いことです。通学路に花を見かけることはありますが、それでも太田の方が多いですね。しかもどの家庭も地域花だんに負けず劣らずきれいなんですよ!
そんな他の地域では見られない「花のまち太田」を象徴するイベントがこの太田花だんフェアなのです。ぜひ、太田に来て心を和ませてはいかがですか?

梅雨明けの風景

7月31日、北東北に梅雨明けが宣言されました。
今年は、6月15日に梅雨入り、7月31日に梅雨明け、例年より少し遅めでした。感覚的には、雨の少ない梅雨だった気がします。

太田の梅雨明けの風景を探しに出かけてみました。
梅雨の季節のバロメーターになる花として「タチアオイ」があります。梅雨入りの頃に花が咲きはじめ、そして、てっぺんまで花が咲くと梅雨明けの頃と言われています。
太田の「タチアオイ」も、確かにてっぺんの花が咲いています。
「タチアオイ」の花をみて、顔に花びらをつけて遊んだものだと懐かしむ世代の方もいました。遊びの中に季節の移ろいを感じていたのかもしれませんね。

何気なく通り過ぎる田園の様子も、梅雨明けとともにじっくり眺めると、穂が出始めています。これからたくさん太陽の恵みを浴びて、穂を実らせ頭を垂らしていくことでしょう。

そして、太陽の下でひときわ存在感を放つのが「ひまわり」です。夏の空に黄色の花と緑の葉が鮮やかです。

梅雨明けとともに、湿度の高い暑さは過ぎたような気がしますが、連日30℃超えの気温が続きます。熱中症対策は忘れずに、夏を乗り切りましょうね。

秀麗 鳥海山

 太田支所ではこのブログ欄で、これまで何度も鳥海山を取り上げてきました。

過去のブログ1 2017・3・6投稿→雪原の向こうに鳥海山を望む

過去のブログ2 2017・5・29投稿→鳥海山を富士山に重ね

鳥海山については、もうネタを尽くした…と、この2年ほどは鳥海山をアップしていません。
私は朝の通勤時に鳥海山が見えると、心が晴れやかになり、思わず「♪秀麗無比な~る 鳥海山よ~」と秋田県民歌を歌いながら、今日一日頑張ろうという気持ちになります。
鳥海山は、天気が良ければ必ず見えるわけではなく、また鳥海山が良く見えると雨が近くなってきていると言われています。しかし今年は梅雨に入ってからも良い天気が続き、鳥海山が見える日も続きました。

 そこで今回は、いくつかの場所から見た鳥海山の秀麗ぶりをお伝えします。

 これは大仙市太田の大台スキー場中腹から見た鳥海山です。スキー場の頂上からは、森林が邪魔して鳥海山は見えませんが、1本の梨の木がある中腹から鳥海山を見ることができます。仙北平野の向こうにそびえる鳥海山の秀麗ぶりは、はっきりと分かります。

 

 これは、秋田県民歌作詞者の倉田政嗣の家(現在は羽後信用金庫太田支店)近くから見た鳥海山です。実はこの写真、平成27年のもので、現在はこのとおり。太田地域も開発の小さな波が押し寄せ、商業施設が建ったため、ビューポイントの場所が変化してしまいました。

 

 これは、鳥海山が坐するにかほ市付近の上空、飛行機の窓から見た鳥海山です。空高くから見ても、やはり鳥海山は美しく整った形で、秀麗です。

 

これは男鹿市から望む鳥海山です。男鹿市の友だちに頼んで、写真を送ってもらいました。
男鹿から鳥海山がきれいに見えるのは、天気が崩れる南風が吹くときだそうで、5月半ばに写真撮影をお願いし、その後、なかなか天気が崩れず、1か月以上待って写真が届きました。
海の向こうに見える鳥海山は、仙北平野から見る鳥海山とは違う趣があります。

 

 これは、秋田市の千秋公園内にある久保田城御隅櫓展望室から見た鳥海山です。ボランティアガイドの方が「きょうは鳥海山が見えません」と言って入館者を引率していなくなった後、掃除をしていた方が「ガイドさんが見えないと言ったけど、今日は見えるよ!」と私を見える場所まで案内してくれました。木立の三角の空間から鳥海山の稜線がわかるかな?この展望室からは、この空間からしか鳥海山は見えないそうですが、何とも貴重な場所です。

 

 これは、美郷町の真昼岳(1,059.9m)の頂上から望む鳥海山です。真昼岳と鳥海山の頂上は、地図で測ると直線距離で70kmくらい、一歩一歩登って真昼岳の頂上に着き、雲海にぽっかりと浮く鳥海山を見たときは、登頂した嬉しさが倍増した気分でした。

そこの土地の一番形のいい山を「○○富士」と名付け、全国に○○富士はたくさんあるようです。
また登山家の深田久弥は「この日本一の山に向かって、いまさら何を言う必要があろう」と富士山を表現していますが、秋田富士と言われる鳥海山も何度見ても飽きない、何も言うことがない美しく、気高く、神聖な何かを持っています。

 鳥海山の秀麗ぶりは、意識しなくても目に飛び込んできますが、まだまだ人それぞれ、土地それぞれの秀麗スポットがあるかもしれません。
あえて鳥海山の秀麗スポットを探すことも、郷土への愛着を育む気がします。その際には、秋田県民歌を口ずさむことも忘れずに(笑)

太田北小学校が地域文化奨励賞受賞

この度、太田北小学校(福山新悦校長・児童数39名)の全校音楽劇の取り組みが評価され、一般財団法人山下太郎顕彰育英会の地域文化奨励賞を受賞しました。


今年度、この地域文化奨励賞を受賞したのは3団体、そのうち大仙市からは平和中学校と太田北小学校の2団体が受賞となりました。
「山下太郎地域文化奨励賞」は、1992年から始まり今年で28回目となります。横手市大森町出身の実業家で海外油田開発の先駆者と呼ばれた故・山下太郎さんは、教育の重要性を深く認識し、出身地や出身校へ資金の寄附や建物の寄贈などを行い、教育への助成に情熱を燃やされた方です。平成元年、山下太郎さんの生誕100周年の時、山下さんを顕彰し、その遺徳を実現しようと、向学心をもって学術研究を行っている研究者や、青少年教育の振興に寄与する目的で山下太郎育英会が設立されました。「地域文化奨励賞」はその育英会の選考委員会を経て授与されるものです。

太田北小学校が評価されたポイントは、豊かな人間性を育む「全校音楽劇」の取り組みです。小規模校であることを活かした全校児童による音楽劇は、2007年から始まり今年は13年目になります。
過去の音楽劇の様子を紹介します。

今回の受賞をうけ、福山校長先生は「これまでがんばってきた子ども達はもちろん、音楽劇を支えてくださった保護者やスタッフ、応援してくださった皆さんに心から感謝しております」とお話ししてくれました。そして、音楽劇の取り組みについては、全校一丸となって取り組むことで、児童のつながりが深まり、学年の隔たりを超えた交流があると語ります。さらに、この音楽劇を通して、子ども達は人前や公の場で堂々と話す力、表現力、想像力、思いやりの心が身につき、自己有用感、達成感を充分に味わうことができていると教えてくださいました。
まさしく、子ども達の豊かな人間性を育むことに大きな役割を果たしていることがわかります。
青少年教育の振興を願った山下太郎さんの志に、もっとも沿うような取り組みであると感じます。
育英会の評価を得て、栄えある受賞となったことは、喜びとともに誇りさえも感じます。
太田北小学校のみなさん、本当におめでとうございます。
太田支所でも、引き続き北小の取り組みを応援していきますね!

太田の薔薇アーチ

6月も下旬になり、薔薇の旬も過ぎてしまいそうな時期になりましたが、太田で見つけた薔薇のアーチを紹介します。

2週間ほど前、通勤途中で見つけた薔薇のアーチに魅了され、太田の薔薇のアーチを撮りたいという構想を抱きつつ、お天気を待つうちに旬を逃してしまっていました。
諦めモードでしたが、もしかして「おおた花の会」の花づくりのプロだったら、まだ咲いている薔薇スポットを教えてくれるかもしれないと思い、相談してみました。案の定、素敵なスポットをご紹介いただきました。ありがとうございました。

こちらは、東今泉の大信田さんの庭園です。

旬は過ぎてしまったそうですが、薔薇のアーチは充分見ごろ。

お庭をじっくり散策させていただきました。実は薔薇がメインではなく、ハーブガーデンとのこと。たしかに、庭園の中は癒される香りでいっぱいでした。

 

そして、こちらは駒場の飯塚さんの薔薇のアーチです。

ご家庭の庭にこれほど完成度の高い薔薇のアーチがあるなんて驚きです。豪華さと上品さ、おとぎ話に出てくるような雰囲気でかわいらしさもあります。
この見事なアーチには、さぞかしこだわりがたくさんあるだろうと思い聞いてみると、せっかく薔薇を植えるならアーチにしてみようとやり始めたとのこと。

大信田さんも、飯塚さんも、薔薇のアーチを作りたいという強いこだわりをもって始めたのではないことに驚きです。観る者を魅了する美しさは、狙って創るものでなく、「好きなもの」に対するまっすぐな気持ちから生まれるものだと、つくづく感じました。
さすが、「花のまち太田」の皆さんです。薔薇のアーチの見た目の良さだけでなく、花づくりへの優しくまっすぐな気持ちの良さも伝わりますよね。
取材にご協力いただいた、大信田さん・飯塚さんありがとうございました。

来年はもっと旬の時期に、たくさんの薔薇スポット巡って、太田のいいところをたくさんお伝えしたいと思います。

躍動‐みせろ太中魂‐

6月18日(火)、太田中学校で大曲仙北中学校総合体育大会の激励集会が行われました。
選手のみなさんは気迫あふれる顔つき。しかし、少しばかり緊張しているようにも見えます。

みんなを応援するため、太田地域3小学校の6年生、保護者や関係者の皆さまも大勢かけつけてくれていました。

各部選手紹介ならびに意気込みを発表。
「全県大会出場」「少しでも多く勝ちたい」「終わったときに笑顔でいたい」
想いはさまざま。

先生方のたのしい激励?のおかげで選手のみんなから笑みがこぼれ緊張もほぐれたようでした。

たくさんの人からの支えがあって大会へ出場できることを忘れてはいけません。

生徒会、応援団、吹奏楽、書道部からもエールがあり、

太田中学校が文字通り“一丸”となった激励集会でした。

大会は今月21日(金)、22日(土)の2日間開催です。
3年生にとっては最後の大曲仙北中学校総合体育大会になります。
ぜひ、悔いのないようにウルトラ諦めずに頑張ってきてください!

太田南小学校 横沢曲がりねぎ苗植え活動

10日(月)午前中、太田南小学校で秋田の伝統野菜のひとつ「横沢曲がりねぎ」の苗植えが行われました。

3年生は苗を植え、4年生は今年収穫する曲がりねぎのネギボウズを取りました。苗植えから収穫まで約2年かかる曲がりねぎ、太田南小学校では3年生と4年生に毎年体験してもらっているとのこと。

秋には今の4年生が3年生の時に植えた曲がりねぎを収穫して“なべっこ”の食材として振る舞われるようです。

今回の苗植え活動には地元農家の長澤さんと高橋さん、そして、東部新規就農者研修施設から佐藤さん、小松さん、佐々木さんの5名が指導のために小学校へ来てくださいました。

苗植えの作業は畑を耕すところから学びました。

クワに慣れていない3年生からは「おもた~い」「かたいた~い」「こしいた~い」と悲鳴の声が聞こえてきました笑

それでも佐藤さん、小松さん、佐々木さんから教えてもらいながら上手に耕すことができていました。
担任の先生は「野菜を作ってくれる人たちはもっと広い畑を1人で耕すんだよ」と普段食べている野菜のありがたみを教えるように話されていました。畑を耕したあとは肥料をまいて、

いよいよ苗植えです。

つながっている苗を1本ずつ分けて、10センチくらいの間隔で、根を下にして立てかけるように置くように長澤さんから教えてもらいます。根に土をかけて、水をあげる作業まで3年生のみんなで行いました。

長澤さんは「植えた苗に毎日話しかけると元気に育ってくれるよ」とみんなにアドバイス。さっそく3年生からは「大きく育ってね~」と声が聞こえました。

3年生の苗植えの間に4年生のみんなはネギボウズ取りを開始。
さすが4年生の皆さんテキパキ、あっという間に作業を終えてしまいました。高橋さんから「8月下旬頃にねぎを土に寝かせたら、45日くらいで土から出た部分がまっすぐに伸びて収穫時期になるよ」と教えていただきました。

ネギボウズは種の部分であり来年の苗となります。また、ネギボウズをそのままにしておくとせっかくのネギが辛くなる、硬くなるなど美味しく食べられなくなるそうで、収穫まで約2年かける横沢曲がりねぎにとって、このネギボウズ取りも大切な作業になります。

摘み取り前のネギボウズ

収穫した曲がりねぎをどう食べたいか質問すると「ラーメン!」という声。どんな“なべっこ”になるかいまから楽しみですね。

収穫がとても待ち遠しいけど、みんなで一生懸命に植えた曲がりねぎはどんな食べ物よりきっと美味しいはずですね!

苗植えをする3年生と取材に来てくれたNHK秋田放送局の佐藤アナウンサー

横沢曲がりねぎについて「地域の財産ですので、なくしてはいけないという想いです」と長澤さん。太田南小学校で苗植え活動を行うのはなんと7年目。

こうして伝統野菜が受け継がれていくことは地域にとって大切なことであり、ありがたいことだと感じられる特別授業でした。

「横沢曲がりねぎ」はやわらかく葉の部分も美味しく食べられ、火を通すことで美味しい甘みを強く感じられるネギです。
太田地域の直売所と県内の一部の市場で10月~11月頃に販売されているとのこと。
皆さんも横沢曲がりねぎを見かけたら、ぜひ味わってみてくださいね!

商標登録完了!「ありさこまち」

太田の農業女子・小松有沙さんが作る「あきたこまち」がついにブランド化されました。
昨年の田植えにお邪魔した時から、商標登録の申請中と聞いていましたが、ついに商標登録が完了したそうです。
有沙さんは平成30年3月2日に商標登録の出願を提出、1年1か月かかり、ようやく平成31年4月12日に登録が完了しました。
商標登録は、有沙さんの経営戦略の一つです。自らつくったお米を他と差異化して「ありさこまち」と正式に名乗りたいという想いから取り組みました。専門家の力をかりずに、個人で商標登録する方法をネットで調べて申請したそうです。書類準備の煩雑さ、待つ時間の長さを体験し、登録完了の感動もひとしおのようです。令和元年度が「ありさこまち」元年度というのも、なかなかいいタイミングとなりました。

「ありさこまち」の今年度の作付は20町歩ほどで、5月末にようやく田植えが完了しました。

秋には商標登録完了後初の「ありさこまち」が収穫されます。令和元年度産の「ありさこまち」はまだ予約を受け付けていないそうですが、私もこっそり予約を狙っています(笑)

皆さんも、令和元年記念に、また太田の農業女子の応援もかねて、「ありさこまち」の購入を検討してみてはいかがでしょうか。

鈴木空如展 開催中!

鈴木空如筆 法隆寺金堂壁画展 が5月24日(金)から始まっています。
会場:太田文化プラザ
会期:5月24日(金)から6月9日(日)まで
時間:9:00~16:00

文化財保護課でまとめた「鑑賞の壺」より、開催にあたっての挨拶を抜粋し、
今回の展示会の鑑賞ポイントなどを紹介します。

鈴木空如(すずきくうにょ)は、1873(明治6)年に、現在の大仙市太田町小神成の旧家に生まれ、画家を志して徒歩で奥羽山脈を越え上京するも日清戦争(1894~95年)に出征して清国盛京省(しんこくせいきょうしょう)、台湾を転戦しました。その際、多くの戦死者を見たことが実家に宛てた書簡に記されており、後の仏画家 鈴木空如誕生の素地となったかのかもしれません。
1898(明治31)年、東京美術学校日本画専科に入学し、卒業後さらに研究科に進み1904(明治37)年に修了しました。その後は法隆寺金堂壁画を原寸大で3度も模写するなど、仏画家としての道を歩み、46(昭和21)年7月21日、めいが経営する神奈川県箱根町の吉池旅館で73年の生涯を静かに終えました。
空如の仏画制作は、信仰にもとづいた一切の妥協を許さない、地道で時代に流されることのない誠実なものです。
本展示では、3作目の法隆寺金堂壁画とあわせて、初の一般公開となる1作目の精巧なレプリカを展示いたします。
本展示をとおして、空如の誠実な人柄やその精神を市民の皆様、とくに子ども達が何かを感じていただければ幸いです。
終わりに、生家鈴木家、箱根鈴木家そして関係者の皆様のご理解とご協力に心から感謝申し上げます。

(鈴木空如筆 法隆寺金堂壁画展 鑑賞の壺 より)

 

 

初日の5月24日は、来場者もまだまばらでしたが、初日こそじっくりゆっくり鑑賞するチャンスです。ある来場者は、2時間ほど堪能し、「すごく興味があってきました。空如の目には、私たちの目では見えない美しいものが見えていたように思います」と感想を述べてくれました。

展示室1(第3作目の展示)の様子

この金堂壁画は展示準備も、重要な作業です。展示には、上段・中段・下段を備えた足場を組み、上から順にそろそろと壁画を伸ばし展示します。これを12面繰り返す作業ですので、かなりの重労働です。

展示室2(第1作目のレプリカ展示)の様子

空如の作品が、ここ太田で展示されるのは3年ぶりです。さらに今回は初のお披露目となるレプリカが展示されています。このチャンスをお見逃しなく、ぜひご鑑賞ください。たくさんの皆さんのご来場をお待ちしております。

緑と花に囲まれた太田庁舎

♪緑あふれるこの大地~は、大仙市民の歌「夢、この大地」の歌いだし。この歌のとおり、大仙市のあちらこちらに緑があふれていますが、市役所の庁舎の中でもっとも緑あふれる庁舎は、太田庁舎ではないかなと思います。

 

庁舎敷地に入ると、木々の緑と、レンゲツツジの朱色が目に飛び込んできます。

そして今、まさに盛んと咲いているのが、庁舎を囲む植え込みの白いツツジです。例年になくモリモリと咲いている気がします。

緑と花に囲まれた太田庁舎、木々の緑からは清々しい空気とマイナスイオンを感じ、色とりどりの花々には元気や癒しを感じます。

 

この写真は手前にレンゲツツジ、奥に赤松を写したもの。

この二つを並べて写したかったのにも理由があります。
赤松は太田町の木、そしてレンゲツツジは太田町の花でした。

赤松が太田町の木に定められたのは太田村時代の昭和43年のことです。
田沢湖で開催された全国植樹祭を記念して田沢湖畔に全県の市町村の木が植樹されることになりました。また昭和43年は明治百年の年であり、これを機に山野に自生している「赤松」を村の木と定めました。

レンゲツツジは、平成元年に町の花に制定されました。
平成元年は、昭和44年に町制が施行されて20周年という記念の年でした。初夏の頃、燃えるような花を咲かせてくるレンゲツツジ、季節の流れを知らせてくれ農作業の目安としても親しまれている花として選ばれました。

庁舎周りの緑と花にも、太田の歴史があります。大仙市となっても、太田町の歴史の上にさらに歴史を重ねて、♪緑あふれるこの大地~を太田は守り続けています。緑と花に囲まれた太田庁舎から、風景とともにミニ歴史をお伝えしました。