払田柵跡とは? - 払田柵跡

2013年10月26日

払田柵跡とは?

 払田柵跡(ほったのさくあと)は、平安時代の初めころ(約1,200年前)、律令国家がこの地方の統一を進めるために造った、政治的・軍事的拠点として、また儀式の場としての役割を持っていたと考えられています。

 昭和6年(1931)に、秋田県内では初めて国史跡に指定されました。

 外柵(がいさく)と呼ばれる、角材(高さ3.6m、縦・横30cm)を並べた材木塀は総延長約3.6km、遺跡の総面積は約87.8haにもなる広大な遺跡です。

 創建に使われた角材は、年輪の研究から延暦20年(801)ころの伐採と判明し、この遺跡はほぼその頃に創建されたものと考えられています。

 歴史書や古文書になどに関連記事がないことから、歴史上の名称が未だ解明されておらず、河辺府説や雄勝城説など様々な説が考えられています。まだまだ多くの謎を秘めた遺跡なのです。

 現在、遺跡の復元を含む環境整備を大仙市が、発掘調査については秋田県教育庁払田柵跡調査事務所が主体となり実施しています。

 東北地方には、払田柵跡以外にも古代城柵官衙(じょうさくかんが)遺跡が多く存在します。

 中でも、北東北に築かれた払田柵、秋田城(秋田市)、志波城(しわじょう/岩手県盛岡市)、徳丹城(とくたんじょう/岩手県紫波郡矢巾町)、胆沢城(いさわじょう/岩手県奥州市)は、律令国家勢力の北限を構成し、互いに密接な関係にあったと考えられています。(これらの遺跡は、払田柵跡と同じく国史跡に指定されています。)

 古代城柵官衙遺跡は、古代の東北地方の歴史を知る上でとても重要な遺跡です。東北古代史、そして払田柵跡が造営された意味を理解するうえからも、東北各地の城柵官衙遺跡を訪れてみてはいかがでしょうか。

発掘された角材列

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払田柵跡総合案内所で実物展示中

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