旧本郷家住宅とは

2018年5月1日

旧本郷家住宅の建築物概要 

 

本郷家住宅の建築物群は、江戸末期・明治・大正・昭和期の各年代の建築物の特徴がよく表されており、当地方における近代住宅の展開を示す建築物群として建造物造形の規範として価値が高く、当時の建築を知る上で、非常に貴重な建築物群の一つであり、大仙市をはじめ秋田県の歴史を語る上でなくてはならない文化財の一つです。

また、近代造園の祖と称される造園家「長岡安平」による彩庭図(庭園設計図・彩色付)も現存していることから、今後、敷地内の庭園造営の沿革等も含めた、さらなる文化財調査が求められています。

 

国登録有形文化財(建造物) 平成281129(官報告示)

名 称 本郷家住宅ほんごうけじゅうたく

所在地 秋田県大仙市角間川町字西中上町

構造、形式および規模(登録面積)

 主 屋:明治33年建築、木造平屋一部2階建、鉄板葺、建築面積396平方メートル

 文庫蔵:慶応3年着工・明治2年竣工、土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積263平方メートル(鞘屋含)

 洋 館:昭和3年建築、木造平屋建、鉄板葺、建築面積68平方メートル

 味噌蔵:大正10年建築、土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積66平方メートル

 

 

 

本郷家の沿革

 

本郷家は、江戸時代の元禄期(18世紀初頭)、庄兵衛を始祖として、現在の横手市近在(前郷村本郷)に興ったとされます。庄兵衛は、享保期(18世紀前期)に角間川へ出て能登屋市兵衛に奉公しますが、その働きぶりが評価され、現在地の辺りに独立して吉右衛門を名乗りました。

 2代が始祖の出身地にちなみ「本郷」を名乗り、以降、本郷吉右衛門を襲名しました。3代吉右衛門(宝暦2年~文化8年)が角間川一帯で商いを大きくし、間口も逐次拡げていくとともに、天明期(18世紀後半)頃から耕地を集約して地主(在方商人地主)となり、明治・大正期には二百数十町歩(大正13年・224ヘクタール)を所有する秋田県内屈指の大地主となりました。

 近代の本郷家当主は、いわゆる「秋田の腐れ米」の改善に取り組む秋田改良社の設立や、雄物川通船貨物保険の運営を行うなど、地域の農業や経済の発展に大きく貢献してきました。

 

【秋田三大地主】  雄物川舟運により角間川が繁栄を極めた明治中期には、資料・秋田縣大地主名鑑(明治22年)によれば、「池田甚之助」

          家(旧高梨村・大正期に東北三大地主)、「辻兵吉」家(秋田)に次ぐ、秋田3大地主として記されています。

【明治天皇行在所】明治14年(1881)の明治天皇の東北御巡幸の際に、本郷家には天皇の旅先の御所となる行在所が置かれ、当主が一人

         拝謁を許されました。

 

 

河港のまち「角間川」の歴史

 

  秋田県大仙市大曲地域の角間川町地区は、秋田県の内陸南部に広がる国内有数の穀倉地帯である横手盆地の中央部に位置し、盆地西縁を北に向かって流れる「秋田の母なる川」とも称される雄物川とその支流の横手川の合流点に位置します。

 角間川は、関ヶ原の戦い後に改易されたこの地方の豪族「小野寺」氏の城主格を含む旧臣72人が慶長7年(1602)に佐竹藩に仕官を願い出て、梅津半右衛門憲忠組下の給人となり、侍の身分を持ちながら農夫として荒地の開墾を行い、新田開発により今日の基礎を築きました。

 江戸時代に、角間川港が米穀を中心とした物資の集積地、また生活物資等の集散地として、舟運の要衝に位置づけられ商業的な地主が成立し、明治期には県内を代表する地主町として広く知られ、角間川は大いに繁栄しました。

 近世における内町(侍町)と外町(商人町)といった町割りは、大仙市内において特徴的であり、現在でも内町には、侍町の特徴を表す鉤型の通りが遺っています。

 

 

川港のまち角間川・歴史まちづくり事業の概要

 

 

 

川港のまち角間川・歴史まちづくり事業の概要.pdf(42MB)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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電話:0187-63-8972
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