歴史

2017年5月18日

余興花火から日本一の花火大会へ

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「大曲村年中行事絵巻物(諏訪神社蔵)」

 「大曲の花火」の歴史は古く、江戸時代のころまでさかのぼるとされているが、藩政期から明治初期を通じての大曲の花火に関する資料は少ない。

 文献上で大曲に花火らしきものが初めて登場するが、文化・文政期(1800年初期)に菅江真澄が書いた地誌「月の出羽路」に描かれている民俗行事「大曲ノ郷の眠流」の挿絵である。挿絵には丸子橋の上を行く眠り流しの灯ろうとともに、後方の川原で打ち上げられている花火が描かれている。

 また、上大町の諏訪神社が所蔵する、市指定の有形歴史文化財で明治初年の作と推定される「大曲村年中行事絵巻物」(中央写真)に祭典風景が描かれ、その中に花火の打ち上げの様子が登場する。

 もちろん、藩政時代から秋田にも花火は広く普及しているが、仙北平野の米産地の中心地に加え、雄物川につながる丸子川の川港を中心とした周辺には豪商が軒をつらね、歓楽街、繁華街が形成されていった大曲でも、まちの発展に伴い花火需要も多くなり、行事や祭りには欠かせない存在となったことは推測できる。

花火伝来伝説

 

 

 

 

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 大仙市には花火伝来に関する資料はないが、隣町の六郷(美郷町)には花火伝来の伝説がある。

 天下分け目の戦といわれた関ヶ原の戦い(1600年)で敗れた豊臣方に組みしたとみられた初代の秋田藩主佐竹義宣は、常陸国(現在の茨城県)から秋田に国替えを命ぜられた。秋田へ向かう途中、あいにく連日の雨で雄物川が洪水となり、しばらく六郷に滞在することとなった。この一行に若い火術家がいて、滞在中の部落の娘と恋に落ち入り部落内に身を隠した。この火術家が部落に秘伝を伝え、後に生計のために、この秘伝を生かして花火を製造したのが、この地の花火の発祥といわれている。

祭典と花火

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 神社の祭礼と花火は切り離すことのできない存在ですが、大曲も例外ではありません。昔から花火好きの多いことでも知られる大曲では、諏訪神社の祭礼で花火を打ち上げました。昔は祭礼時に花火を奉納する人もいて「奉納する人たちの家々の前で花火を打ち上げた」という記録が残ります。現在でも、神社の神輿巡幸の道筋にあわせて打ち上げられる花火は、「神輿がきたぞ」という合図でもあり、町内からの花火の奉納でもあります。

全国花火競技大会のはじまり

 

 

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 諏訪神社の祭典とのかかわりが深い奉納花火や余興花火が、明治43年(1910年)には「第1回奥羽六県煙火共進会」として開催された。これが全国花火競技大会のはじまりである。

 当時、東北で有名な花火師が一か所に集まり、花火の打ち上げをすることはほかに例がなく、画期的な催し物であったとされる。

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 奥羽六県煙火共進会と花火先進地であった三河国(現在の愛知県)花火共進会が同時に開催されたことで、そこに参加した花火師は先進地三河の進歩した技術に驚き、その技術の習得に競って励んだことが大曲の花火の礎となったと考えられている。

 以後、第3回までこの奥羽六県煙火共進会という形で開催され、大正4年(1915)の第4回大会からは「全国煙火競技大会」と名称を変え、名実ともに全国的な規模の花火大会へと発展。その後、戦争などで一時中断があったが、昭和21年(1946)終戦とともに、現在の「全国花火競技大会」として再開された。大会は、敗戦による混乱の中の人々に大きな勇気と希望を与えたことだと思われるが、終戦の翌年に花火大会を企画するほど、大曲のまちの人たちがいかに花火好きなのかが分かる。

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 大曲の花火は、正式名称が全国花火競技大会とあるように花火師の競技会である。内閣総理大臣賞、経済産業大臣賞、文部科学大臣奨励賞、中小企業庁長官賞が授与される。内閣総理大臣賞があるのは大曲と土浦(茨城県)の大会だけ。

 伝統と格式を持つ大曲の花火は今、全国えりすぐりの花火師たちが最新の花火を持ち寄り、競い合い、また70万人を超える観客を集める日本有数の大イベントとなった。

参考:『大曲の花火小史』

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「菅江真澄遊覧記 月の出羽路 仙北郡 9巻(大仙市立大曲図書館蔵写本)」

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