鈴木空如について - 鈴木空如資料調査研究事業

2013年10月22日

鈴木空如について

 鈴木空如は、明治6年(1873)、鈴木虎之助・フミの三男として生まれ、本名を久治といいます。秋田県仙北郡小神成村13番地(現・大仙市太田町小神成)に生まれ、世界文化遺産・法隆寺の金堂壁画を模写したことで世に知られています。

 空如は、仏画によって生計を立てるというよりも仏画研究に頭していたため、生活は決して楽ではありませんでしたが、佐藤維一郎(内小友出身、号維山)・田口松圃(大曲出身、大曲町長、県議会議員を歴任)などと親交が深く、とくに維一郎は空如のよき理解者であったことは知られています。

 維一郎は手記『仏絵師の聖 鈴木空如翁』に、空如との出会いについて「その瞬間、私は『清貧即清浄』と言うべき尊敬の念を禁じ得なかった。その節、私は僭越にも仙北出身の此の一仏画家に対し、晩年まで、年々歳々揮毫をお願いいたし、秋田県にその作品を遺したいと決心をした。」とあります。維一郎は空如よりも17歳年下でしたが、空如の生き方・仏画制作に対する姿勢に感銘を受け空如を物心両面から支え続けたのです。

 空如の仏画には落款などの署名はありません。これは、美術絵画として制作したものではなく、仏画はあくまで信仰の対象であるという空如の一念の現れであると考えられます。

 なぜ、空如は仏画の模写に人生を掛けたのでしょうか。それは、空如自身が明治・大正という時代を生き、7・8世紀に中国から伝来した法隆寺金堂壁画の〈仏〉たちや、9世紀に空海が中国から持ち帰った密教の図像に描かれた〈仏〉たちが失われてゆく現実と向き合い、そのことへの危機感と後世に伝えようとする使命感があったからではないでしょうか。空如はそれらの忘れ去られてゆく〈仏〉たちを一心にありのままに模写し後世に伝えようとしたのです。

第1号壁画 釈迦浄土図

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第2号壁画 半跏形菩薩像

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法隆寺金堂内陣壁画位置図

番号は壁画番号を示しています。

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